【倉敷商工会議所 青年部10周年記念講演会】

グレートジャーニー
ご 案 内
倉敷商工会議所 青年部10周年記念講演会
グレートジャーニー  〜5万300km人類 400万年の旅〜
関野吉晴 講演会

開催日時: 平成18年5月27日(土)
開演14:30〜16:30(開場14:00)
開催場所: 倉敷市民会館(大ホール)
お問合せ: 086-424-2111
倉敷商工会議所 青年部 事務局
関野吉晴公式サイト http://www.sekino.info/
関野吉晴 プロフィール
 医師として病院勤務の傍ら、 南米通いを続けた。1993年からは、アフリカに誕生した人類がユーラシア大陸を通って アメリカ大陸にまで拡散していった約5万3千キロの行程を、自らの脚力と腕力だけをたよりに 遡行する旅「グレートジャーニー」を始める。

 足かけ10年の歳月をかけて、 2002年2月10日ついにタンザニア・ラエトリにゴールした。

概 要

 「倉敷商工会議所 青年部10周年記念講演会」には、探検家の関野吉晴先生を講師としてお招きし、大変素晴らしいお話を拝聴することができました。
 植木会長の挨拶から始まり、関野先生の講演、藤木実行委員長から先生へ記念品の贈呈と、10周年記念に相応しい充実した内容となりました。
植木会長の挨拶はコチラ

講 演 内 容

 
関野 吉晴先生
関野 吉晴先生

グレートジャーニーを始める前は、アマゾンの源流を下って以来、旅ばかりしていました。行く前から分かっていたのですが、アマゾンの先住民は日本人と非常に似ており、いきなり訪れて「泊めてください。何でもします。」と言うと、彼らは大らかにとめてくれます。何でもしますと言っても大概役には立てないのですが。
 氷河期時代は今より海面が低くかったので、ベーリング海峡を渡って人々の一部がシベリアからアマゾンに渡りました。彼らと一緒に暮らすうち、彼らの先祖がどのような思いでこの地にやってきたのか、辿ってみたいと思うようになったのがグレートジャーニーの始まりでした。  
旅に使用された自転車
旅に使用された自転車


 15万年前、全ての人類の先祖はアフリカにいました。アフリカを出たのは10万年くらい前。 この人類の起源の地、アフリカをゴールと定め、人類の辿ったルートとは逆ルートで南米ナバリーナ島よりスタートしました。
 旅のルールとして自分に課したのは「動力を使わない」ということです。太古の人は歩いて移動をしたのだから、自分の腕力・脚力のみを使うことにしました。移動だけなら5年ほどで終了していたはずですが、自然と一体となっている人との交流がしたかったので、最終的には倍近くの時間が掛かってしまいました。
 よく聞かれるのは、足かけ10年の旅の中で「一番危険だったことはなんですか?」「一番美味しかったものはなんですか?」「一番住んでみたかった地は何処ですか?」といった質問です。短い旅であれば、「一番は○○です。」と答え様もあるのですが、流石に10年分の旅ともなると、その中で一番を決めるのは難しいですね。

(ビデオ上映1:グレートジャーニー)
  勤めていた病院を辞め、2歳になったばかりの娘と妻を残し、南米最南端の島より人類発祥の地を目指す。400万年前、進化を重ねつつ移動を続けた人類の軌跡を辿る旅、グレートジャーニー。極寒の地、夏のアラスカ、灼熱の砂漠を越え、地球という星の凄さを感じつつ出会いを繋ぐ旅を続ける。そして2002年2月、一歩一歩繋げた道が10年目にしてついにゴールを迎えた。  

 アンデスやアマゾンで、泊めてくださいと頼むと快く泊めてくれ、そして一生懸命寝場所を作ってくれました。ハンモックの周りにある物は全て手作りで、素材が分からないものはありません。満月であれば明かりなしに本が読めます。新月だと外を歩くことはできますが、雲が掛かると伸ばした手の先が見えない漆黒の闇です。今の我々の生活には素材の分からないものが多く、自給率も低いです。太古の人々は彼ら自身「自分達は何処から来たのか、どうなっていくのか」と必ず考えてきた。それを知る事が旅の大きな目的でした。  
藤木実行委員長より関野先生へ記念品の贈呈
藤木実行委員長より関野先生へ記念品の贈呈


 人間と他の動物はどう違うのか。それは、道具を使うこと、言葉を使うこと、家族を作ること、そして二本足で歩くことです。最後の二つが重要です。私はこの2つの証拠を示す足跡遺跡を今回の旅のゴールとしました。二本足で歩くと手が使えるようになり、脳が発達します。ゴールにあったのは3つの足跡です。大きい足跡1つと小さな足跡が1つ。距離が近く、大きな足跡は明らかに小さな足跡と歩幅を合わせて歩いていました。家族の始まりとも言われています。
 人間は弱い動物で、強い爪も牙もなく、俊敏性にも欠けます。家族を作り、道具を使う事で生きて来られたのです。
(ビデオ上映2:アラスカ)
  半径200Km以内に人はおらず、その家族のみ。アラスカの原野に20年以上住むワナ師(トラッパー)の家族。自然の生態系に気をつけながらの猟に共感した。
 自分で食べ物、着る物を調達することは、他の生命を殺さなくてはならない。知識は本やパソコンから教わり、生きる知恵は両親と自然から学ぶ。
  「ここの野生動物、魚、植物を食べること。水を飲むこと。それは大地を食べること。大地の一部になることです。人は大地に生かされているのです。」  
 
  モンゴルの人はビタミンを殆ど取りません。不思議でしたが、後で判ったのは乳製品です。馬の乳を搾って発酵させて作ったお酒に微生物が沢山含まれ、そこにビタミンがあったのです。私達が病気になると自分が被害者と思い勝ちですが、実は自分が加害者なのです。なぜ病気になるかというと、それは自分が摂制していないからです。そういう意味では皆さんがされている倉敷朝市のテーマ「地産地消」はとてもいい考えです。その土地で採れたものを食べるのは本当にすばらしいことですね。
 
関野先生のサイン会
関野先生のサイン会には長蛇の列ができました

(ビデオ上映3:モンゴル)
 プージェー(6歳)は、盗まれた馬を探しに行った母が不在の間、寝たきりのおじいさん、それを看病するおばあさん、そして2歳のいとこのバーサと暮らし、牛を追い留守を守っている。プージェーの母は結局、馬を見つける事ができず帰ってくる。プージェーのほっとした笑顔。その3ヵ月後、冬の放牧地へプージェー達を訪ねた関野はプージェーの異変に気付く。プージェーの母は馬から落ち、大怪我をして亡くなってしまったのだ。  

  「ずっと住みたい所は在りましたか?」と良く聞かれますが、一番くつろぐのは自分の家です。シベリアで出会ったポーランド人のおじいさんは、「自分はラッキーだ。81歳まで生きて来られた。妻も子も死んだが、ロシア人と再婚して幸せに生きてこられた。なんてハッピーなのか。」
 20代の一番大事な時期に全てを押さえ込まれ、当たり前の事の大切さを教えられたおじいさんは今、それをかみ締めることが出来ると言います。当たり前の事。家族と居られる、好きな事ができる、水、空気、そんな当たり前の事がいかに大事か。自分の周りの事、自分の生まれた地域を大切にすることが一番大事なのだと感じました。  
 
     <ここで質疑応答の時間が取られました。>
 Q:5万3千キロもの旅を続けられたモチベーションの維持は何ですか?
 A:自然に頭に湧いてくると動かずにはいられません。グレートジャーニーの終着点で次の旅のことが湧いて来ました。日本人はどこから来たのか。日本人というのは色々な人間が集まって混血したものです。今、その軌跡を辿る旅をしています。