ちょっといい話

鴨井会長のメールを始めとするちょっといい話をUPしています。

 

2006/3/30

あるコラムで見つけた記事を紹介します。
「10円玉のミス」

あなたは、10円玉の図柄を描けるだろうか?恐らくほとんどの人は何となく記憶しているが、正確には描けないはずだ。
10円玉を他の硬貨と間違う人はいない。 色や大きさで識別できるから、図柄まで記憶する必要がないのだ。
10円玉を見て、「ああ、そういえば」と思った瞬間、脳が刺激されている。 「思い出せない」 という関心が、 「見る」 から 「視る」に脳の
スイッチを切り替えている。
これまでの何万回以上の接触よりも、このたった一回の興味のほうが記憶に残る。
接触回数が多ければ伝えられることも多いはず、きっとわかってもらえるはずと思い込み、企業も個人も接触回数に依存しすぎると、この
「10円玉のミス」を犯すことになる。
接触回数は、認知と相関するが、好意や共感とは相関しない。
重要なのは、企業のあるいは個人の「価値」であり、「人格」なのである。単なるデザインや標準化された機能に好意や共感を生み出す力
まではない。

2006/3/29

「野球」

野球のシーズン到来です。
WBCが日本チームの優勝という、最高の結果で幕を閉じ、選抜高校野球が熱戦を繰り広げ、プロ野球も開幕しました。
野球について考えてみると、他のスポーツと少し違うところがあります。
それは、 試合に出ている九人全員が、平等に攻撃の機会を与えられていることです。
多くのスポーツは、攻撃陣と守備陣に分業され、ほぼ固定された状態でその専門性を発揮します。
これは、限られた人員の下で人的資源の最適配置を行なうマネージメントとして考えれば、「適材適所」で合理的です。
しかし、野球の場合、必ずしもバッティングを得意としない選手にも打席を平等に配分するわけですから、他のスポーツとは一線を画している気がします。
打撃が得意でない人もそれを克服するために、 足を使ったり、奇策を講じたり、とにかく「全員攻撃」の気持ちを強く持たなければ試合に勝てません。
このことは、中小・零細企業の戦いに似ていて、「オレは製造だから、販売は関係ない」 とか「私は無口だから、営業に向いていない」 などと言っていられ
ないのと同じです。
昔の高度成長時代を作り上げたときの日本は、 この「全員攻撃」 の精神がパワーの源だったのかもしれません。
野球が日本に根付いたのは、どうやらそのあたりに理由がありそうな気がしますが、これってこじつけ?

2006/3/27

「個性」

世間では、個性を伸ばすとか個性を大事にしようとよく言われる。
個性というのは、 その人の中にあると思われがちだが、それは間違いである。
人を見る目を養わなければならない。
個性は、自分が人と違うということ。ならば、他人が前提となる。
つまり、他人が自分を見ることであって、自分で言うことではない。
人をしっかりと見て、 自分との違いを分析できて初めて、個性は誕生する。
養老孟司

2006/3/23

「水五訓」 黒田如水

1.常に自己の進路を求め、止まぬは水なり
2.自ら潔くして、他汚を洗い、清濁併せ容るるの量あるは水なり
3.障害にあって、その勢いを百倍するは水なり
4.自ら活動して、他を動かしむるは水なり
5.洋として大海を充たし、発して蒸気となり、雲となり、雪に変じ、
  霞と化し、氷っては玲鑑(麗しい鏡)となり、しかもその性を失わ
  ぬは水なり

2006/3/17

「1日1時間」

ある会社で、1日に1時間だけ出社することを社員に2日間挑戦してもらったそうです。 
もちろん、自宅に仕事を持ち帰ったり、電話で得意先と連絡を取ったりするのも禁止です。
1日1時間の勤務でも、周囲や顧客に迷惑をかけずに業務をこなせるにはどうすれば良いかを考えてもらうための試みです。
1日8時間でやっていた仕事を1時間で処理するには、個人の努力だけでなく、周りとの調和や協力が必要となり、根本的に仕事のやり方を見直さなくてはならないので、そこに新し
い発見の余地があるというものです。
通常、仕事が1割増えると残業で何とかなると思い、3割増なら徹夜でどうにかしようと思い、5割増だと休日出勤で対応しようと考えるそうで、 仕事が増えても時間内に処理することを
目指す人は少ないそうです。

皆さん、挑戦してみますか?
会社に8時間いても、仕事をしているのは1時間だけだという人はダメですよ

2006/3/14

「ネガティブ賛成」
ポジティブ・シンキングなどというが、ポジティブからしか物事を見られない人より、ネガティブな見方も知っている人のほうが、人間の幅が広い。
落ち込んで、すねてひがんでいる人の気持ちがわかる。いつもポジティブに生きてきた人は、ネガティブ人間の気持ちに無頓着である。
ポジティブに生きてきた人は、確かに立派かもしれないが、ネガティブに落ち込んだ経験のある人のほうが、人に優しくなれる。
人生のネガフィルムもじっくり見つめて欲しい。その風景は、きっとあなたの心を豊かにしてくれるはずだ。
誰の言葉か知りませんが、「悲惨な予想や状況は、悲惨な結果のみ生むものではない。」というのがありました。

2006/3/10

「観念」

サーカスの象は、小さい頃に頑丈な鎖でつながれる。子象は鎖を引っ張って逃げようとするが、まだ小さいので鎖を切れない。
そのうち逃げられないとあきらめて、暴れるのをやめる。
この子象は、年月が経つと大人になる。もう、つながれている鎖など簡単に切れる力を身につける。ところが、象は暴れることもなく、決して鎖を切って
逃げようとはしない。象は、鎖が切れなかった経験はしているが、鎖を切った経験をしていない。「鎖は切れない」という観念が植え付けられてしまっている
からだ。
人間もこの象と同じだ。 一度失敗をしたことを「これは自分にはできない」と思い込み、苦手意識を自分で植え付けてしまう。
こういったたとえ話はよくあります。しかし、本当に象は「鎖が切れない」という思い込みで逃げないのでしょうか?
もしかすると、サーカスにいれば毎日餌をもらえるからかもしれませんし、安全だからかもしれません。サーカスで芸を見せることに喜びを感じているから
かもしれません。
「『鎖は切れない』という観念が植え付けられてしまっているからだ」と勝手に決め付ける人こそ、観念が植え付けられているのではないでしょうか?

2006/3/8

さあ皆さん、仕事でお疲れのところ、一服タイムです。
頭の体操で、固まった脳をほんの少し柔らかくして、気分をリフレッシュさせて
から、次の仕事に取り掛かりましょう。

(問題)
一人の男が、1枚の肖像画を眺めているので、ある人が尋ねました。
「誰の肖像画を見ているのですか?」
「私には兄弟がいません。しかし、この絵の男の父親は私の父親の息子です」
さあ、絵の男はだれでしょう?
答は下の方へ(白字で)書いていますので、見る(反転する)前に少し考えてみてください。

(答え)
絵を見ている人の息子
「私の父親の息子です」という言葉は、「私」に置き換えられます。
まわりくどい説明をしていると、一向に相手にわかってもらえないものです。
簡潔でない説明が、どれだけわかりにくいのかという例です。
逆に、話し手が事情をよくわかっているからといって、肝心な点を省略して
しまい、聞き手に伝わらないこともあります。
達意簡明は、難しいものです。

2006/3/6

「比較」

友人夫婦が尋ねてきて、世間話をしているうちに、友人の奥方が騒ぎ出しました。
過日、朝9時ごろに車のクラクションが何回も鳴るので、外に出てみると、お向かいの家の前にトラックが止まり、荷台に立派なピアノがのっかっていたそうです。
奥方いわく「きっとご近所に見せ付けるために、わざとクラクションを鳴らすよう運転 手に言ったに違いない。
ふざけてる。ウチも何か買い替えようかしら」とのこと。
人は、おかしな習性を持っていて、他人とよく比較をします。それによって幸せになることもあれば、その逆のこともあります。
誰が指図するわけでもないのに、自分で勝手に比較をしては、ため息をついたり、怒ったりして苦しんでいます。
上でも下でも、強くても弱くても、大きくても小さくても、美しいものは見えるものなんですが・・・。

非核三原則ならぬ、比較三原則とは、主人の出世 ・ 奥さんの持ち物・子供の進学
あたりかな?

「上見れば、望むことのみ多かりき、笠着て暮らせ、己が心に」。名言です。

2006/3/2

記事を紹介します。

「愚直こそパワー」。モノづくりのメッカ・名古屋の企業経営者に、そんな考えが目立つ。
最近の耐震データ偽造問題やライブドア事件のためだけではない。江戸時代から続く「名古屋商人の根本精神」だそうだ。 昨年来の名古屋経済への高い評価で裏付けら
れた点も大きいという。
そんな企業風土は、 人材育成から生まれたようだ。「 モノづくりと人づくりの間には、双方向の因果関係がある。つまり、愚直にモノを作ることが愚直な人づくりに役立ち、 
企業のパワーも培う」。2月の中部財界セミナーで、講師がそう説いた。社長の一人は「名古屋では城山三郎さんの小説『粗にして野だが卑ではない』のような人間が評価さ 
れているからね」ともらした。
「日本一元気」な名古屋経済の強さを突き詰めると、マンパワーに行き着く。「どんなに製作能力が高くても、人格の優れない人はリーダーにしない」という企業も少なくない。 
結局は人の問題だ。名古屋経済の輝きで「愚直」も輝き、品格にまでつながっているように思えた。

2006/2/27

「嘘」

このところ、連日ホリエモンのメール疑惑が取り沙汰されています。
メールの内容よりも、メールそのものが本物か偽物かという議論になっていることが心配なのは、皆さんも同じだと思います。
マンションの耐震構造偽装事件の「偽装」、ライブドアの粉飾決算事件の「粉飾」、今回のメール論争では「ガセ」と様々な言葉が飛び交
っていますが、それらの共通点は、「嘘」です。
情報は、たくさんあれば判断の際に助かります。
その中で最もよい選択をする知恵を我々人間は持っています。
つまり、最大の悪は、「嘘」と「隠ぺい」です。
しかし、人が生きていくうえでは、100の真実よりたった1つの嘘で救われることもあります。
「嘘」って難しいですね。

2006/2/24

「愚か者」

事務所の窓を換気のために少し開けていたら、季節はずれの虫が室内に飛び込んできました。何度もガラスに体をぶつけながら飛んでいます。
「入ってきた窓の隙間から出ればいいものを。 この愚か者め。」 とあざ笑いつつ、自分も悩みを抱えたとき、同じことをしているのではないかと思いました。
一歩さがって客観的に見れば、出口がどこにあるかわかるのに、目の前のことしか見ないで闇雲に頭をぶつけて苦しむのは、虫と変わりないかもしれません。
虫の行動といえど、無視できず、むしろ教えられるとは、情けない。
落ちがイマイチでした。やはり愚か者です。

2006/2/22

「変化と異常」

「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」というように、いつの時代にも変化は続いています。
ところで、「変化」と「異常」をきちんと区別できている人は、どれだけいるでしょうか?
「 変化 」 は、小さくても大きくても、元へは戻らないものであり、「異常」は一時的なものだと、ある人は定義しています。
それが正しいとするならば、おのずと対応の仕方も変わってきます。
自分を取り巻く環境が変わりだしたときは、まず「変化」と「異常」の見極めが大切なようです。

2006/2/20

「月曜日の朝」

ある雑誌に「親が、朝いやな顔をして家を出る姿の延長線にニートが存在する」
と書いてありました。
仕事に対する親の気持ちを、子供たちは敏感に見ているというのです。
まさに「子は親の鏡」です。
月曜日の朝に「週末まであと何日かな?」と考えるようになると、日々が流されてしまいます。
「また仕事だ」と思いながら家を出ていては、家族に元気のでるはずもありません。
「仕事って嫌なものなんだ」と思われるだけです。
自分のためにも家族のためにも次世代の若者たちのためにも、朝出掛けるときは、「今日も一日、いい日になりそうだ。頑張るぞ!行ってきます」くらいのことを
言いたいですね。

2006/2/16

「商売の教え」

ユニーの名誉会長・西川俊男氏は、若いころにご母堂からいただいた「商売の教え」を、尊い遺訓としてたいせつにしておられる。
次が、その教えである。
「一所懸命に働く人は多い。しかし、同時に一所懸命に考えるんだよ。
ハード・ワークというものは、ハード・シンキングがあるから生きるんだよ」「柔らかい体質にするんだよ。間違ってたら直すんだよ。できなかっ
たら繰り返すんだよ。頑固になるなよ。角張るなよ。柔らかくなれよ。
それが若いということ。若ければ教えてくれるよ」「経営に落とし穴があるよ。落ちたって嘆くなよ。次に落ちなきゃいいんだよ」
「青年にすすめたいことは、ただ三語につきる。すなわち働け、もっと働け、あくまで働け」とはビスマルクの言と伝えられるが、先の"遺訓"
に比べると、いささか能がないようにすら思える。
西川氏ご母堂の「商売の教え」こそ、ほんとうに働いた人ならではの名言ではないだろうか。

2006/2/13

「達意簡明」

手紙や書類の文章は、できるだけ「達意簡明」を心がけたいものです。
「達意」とは意図を十分に行き届かせることであり、「簡明」とは簡単明瞭なことを言います。
ユーゴーが 「レ・ミゼラブル」 を出版したときの、 出版元とのやりとりでは、ユーゴーから 「?」、 出版元からは 「!」 だけでした。
「売れ行きはどうか?」という問いに、「すばらしい!」と答えたのです。
フランスの哲学者・パスカルは、ある手紙の終わりにこう記しました。
「私はこの手紙をいつもよりずっと長く書きました。 というのは、それを短く書く時間がなかったからです。パスカル」

確かにパスカルの言うように、達意簡明な手紙を書くには事前に考えをよくまとめる時間が要ります。
達意簡明とは、その成果なのでしょう。
俳句や短歌って凄いですね。

2006/2/9

「肝心なこと」

「哲学者○○の言葉に、」 とか「○○の法則によると、」 と言われると「もの知りだ」 と思ってしまう。
英語やフランス語など外国語を堪能に喋る人を見ると「頭がいい」と思ってしまう。
「ITの申し子」となると「時代の先端をいっている」と思ってしまう。
自分の理解の外にある人に対しては、つい尊敬や羨望の念を抱いてしまいます。
しかし、言葉や法則を知っていることと実際の人間性や行動が素晴らしいこととは、必ずしも一致しないことがあります。
英語やITも同様、それらは単なる道具であって、肝心なのは、それらを使う人間の中身であり、使い方です。
漫画家の本宮ひろし氏は、「漫画で絵を描けるということは、小説で字を書けるのと同じ。
だから、何を書くのか(物語)が大事なんだ」と言っています。

2006/2/7

雑誌に載っていた「詫び状」の書き方をご紹介します。

                            平成  年  月  日 

株式会社○○○○

代表取締役 ○○○○様


                            株式会社××××

                            代表取締役 (1)(自署) 

(2)謹啓 貴社益々ご清栄のこととお慶び申し上げます。 平素は格別のお引き立てを賜り、厚く御礼申し上げます。
 さて、 このたびは弊社製品の納入につきまして、不備のある製品をお届けする不始末を起こしてしまい、ご関係の皆様には多大なご迷惑
をお掛けしましたこと、誠に申し訳なく深くお詫び申し上げます。
 弊社に対するご信頼ならびにご期待に反する結果を招きましたことを担当の○○より報告を受け、誠に申し訳なく恐縮至極に存じます。
(3)何故このような事故が起きたのか、 早速関係部門におきまして、事故原因の究明に当たらせておりますが、(4)弊社といたしましもかかる事故の皆無を期し、一層の品質管理体制の強化を図り、 事故の再発
を防止する所存でございますので、 何卒ご容赦くださいますよう、お願い申し上げます。
(5)なお、 本件解決のために、 担当の○○をお伺いさせ、 直接ご相談させていただきたく存じます。 ご多忙のところ誠に恐縮ではございます
が、ご引見賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。
 甚だ失礼ではございますが、 書面にてお詫び申し上げますと共に、今後とも弊社製品につき、変わらぬご愛顧の程、 重ねてお願い申し上
げます。
(6)どうぞご自愛くださいまして、 益々ご活躍くださいますよう、 心よりお祈り申し上げます。

謹白

(解説)
(1)自分の手書きで署名を行なうと、真摯な姿勢で臨んでいることを伝えられる。
(2)できるだけ最上級の頭語を用いて、相手に敬意を表する。
へたな自己弁護はせず、非を素直に認める。
(3)原因究明に向けた行動をしていることを伝える。ただし、究明には時間を必要とすることも多いので、期限は明記せず、余裕を確保する。
(4)再発防止を示すことが、信頼回復の第一歩。また、 失敗について指摘を受けたことが、改革・改善のきっかけになっていることを強調すれ
ば、「よいことをした」と相手も快く感じる。
(5)最終的にどのような償いをするのかを示す。
(6)形式にとらわれることなく、「申し訳ない」というこちらの真意を素直な言葉や表現で伝える。

「クレーム処理研究会」の参考資料より

2006/2/6

マラソンで勝つために必要なものは?
このところ、毎週のように全国各地でマラソン大会が開催されていますが、「マラソンで勝つために必要なものは?」と問われれば。あなたなら何を思
いつきますか?
42・195キロを走りきるスタミナ?それともスピード?はたまた他の選手との駆け引き?
バルセロナ五輪で8位入賞した谷口浩美・沖電気監督が面白いコメントを出していました。
それは「気配り」。00年のシドニー五輪女子マラソンで、金メダルに輝いた高橋尚子選手を見て感得したというのです。競技終了後、帰国のため、陸
上の選手団が空港の待合室に集まったとき、高橋選手は監督、コーチから飲み物の注文を聞き、自ら運んできました。
谷口監督は「ヒロイン気分に浸っていてもおかしくないのに、おくびにも出さない。自然に出来るところが彼女の強さ」と感じたそうです。

男子で2時間10分、女子で2時間20分。これほどの時間をライバルと共にするスポーツでは、相手の体の状態、心境を察知することが、勝敗を分ける
重要な要素ともなります。その「観察力」を磨くためには、日常生活での「気配り」が一番だというのです。
これって、仕事にも通じそうですね。 

2006/2/2

さあ皆さん、仕事でお疲れのところ、一服タイムです。
頭の体操で、固まった脳をほんの少し柔らかくして、気分をリフレッシュさせてから、次の仕事に取り掛かりましょう。

(問題)
ある統計学者が、町の住民 6,000人の全員に対して、数学の試験を実施しました。それと当時に、住民の身長を測定しました。

その結果、数学の能力と身長の大きさの間には、強い相関があることがわかりました。
これは一体どういうことなのでしょうか?

答は下の方へ(白い字で)書いていますので、見る前に少し考えてみてください。

(答え)↓(反転して見てください)

町の全員というと、赤ん坊や子供も含まれるからです

「霧の夜よりも、晴れた夜の方が交通事故の死亡者数が多い。」という統計も、晴れた夜に比べて、霧の夜などめったにないから、当然のことです。
ある国で人口調査を行なったところ、3千万人でした。 しかし、5年後には倍の6千万人に増えていたそうです。
はじめの調査は、課税と徴兵のためであり、あとの調査は、飢餓救済のためだったとのこと。

統計データは、ときにあてにならないものもありますし、数字を表面だけ見ていると、判断を間違えることがあります。ご注意を!

余談ですが、天気予報のときなどに使われる「平年気温」の「平年」とは、過去30年の平均値だってこと、ご存知でした?

2006/2/1

スズキ自動車・鈴木会長の記事をご紹介します。

「絶対値」

経営とは数字である。人が動き、ものが動くと、数字が動く。ポイントは、数字の捉え方だ。
数字の基準は、かつての「相対値」から「絶対値」へと変わっていると思う。
例えば、ある地方都市の税収が、前年1000億円だったとしよう。これが今年は98.1%となった。役所の人は、「ほぼ前年並みで、まずまずです」となるだろう。
冗談じゃない。1000億円の1.9%といったら、19億円になるじゃないか。
同じケースは会社の中にもたくさんある。率やパーセントというのは、大事な数字を隠してしまう。 数字が隠れてしまうと、実態が隠れていく。すると、その影響で人の奥底にある向上心や意欲まで見えなくさせてしまうんだ。
だから、仕事の精度を高めるためには、「絶対値」でなければダメなんだ。

2006/1/30

「であい」

お好み焼き店のチェーン展開を積極的に推進している株式会社千房は、次の社訓を掲げている。
「出逢いは己の羅針盤。小さな心のふれあいに己を賭けよ。そこから己の路が照らされる」
中井政嗣社長の「千房語録」がそれに続く。
「人間は、ひとりでは生きていけないものです。 また、人は人によって生かされています。 いろいろな人との出合い。小さな出会いから、大きな出逢いに発展していきます。一つ一つのであいを大切にし、どんな小さなであいにも一期一会。 誠心誠意尽くすことによって、自分の歩む道が見えてきます。そして、人間の素晴らしさをあらためて発見することでしょう」

中井社長の「人が集まる10か条」
1. 人が集まるところに、人は集まる
2. 夢を見られるところに、人は集まる
3. 噂になっているところに、人は集まる
4. 良いものがあるところに、人は集まる
5. 快適なところに、人は集まる
6. 満足を得られるところに、人は集まる
7. 自分のためになるところに、人は集まる
8. 感動を求めて、人は集まる
9. 人の心を求めて、人は集まる
10.自分の存在感を認めてくれるところに、人は集まる

この「10か条」、青年部そのままではないですか!

2006/1/27

「三方よし」

近江商人の商法と理念は、「売り手よし、買い手よし、世間よし」 という「三方よし」の考え方が基本となっているそうです。
昔の近江の商家には、「他国へ行商するも、総て我事のみと思わず、その国一切の人を大切にして、私利をむさぼることなかれ」 という家訓があったとのこと。
商いは、売り手と買い手という当事者だけでなく、社会全体の幸福につながって、初めて成り立つという教えです。そして、当然のことながら三方の中に優先順位はありません。
理想論として「世間よし」の域にまで配慮することはあっても、それを実践できるのかどうかは、最近多発しているお騒がせ事件を見れば、明らかです。
「三方よし」が、いつの世でも事業の存立基盤であることに異論はないと思います。
「我が方よし」だけにならぬよう、気をつけたいですね。

2006/1/25

「いただきます」

永六輔氏のラジオ番組に、一通の手紙が届き、そのことがあれこれと議論されているそうです。
ある小学校で母親が申し入れをしました。「給食の時間に、うちの子には『いただきます』と言わせないでほしい。給食費をちゃんと払っているんだから、言わなくていいではないか」との内容です。
番組には、数十通の反響があり、多くは申し入れに否定的だった一方、母親のような考え方は必ずしも珍しくないことを示す経験談もあったようです。

次に、永氏への質問とその受け答えを記します。
Q.「給食費を払っている」という理由について、どう感じましたか?
永氏 :
学校給食で「いただきます」を言うことへの抵抗は、以前からありました。それは、両手を合わせる姿が特定の宗教行為、つまり仏教に結びつかないか、という懸念です。宗教的なことを押し付けるのは僕も良くないと思います。でも「いただきます」という言葉は、宗教に関係していません。
自然の世界と人間のお付き合いの問題です。
「お金を払っているから、いただきますと言わせないで」というのは、最近の話です。命でなく、お金に手を合わせちゃう。会社を売り買いするIT企業や投資ファンドにも共通点があると思います。
話の発端になった母親は「いただきます」を言うかどうかを、物事を売る、買うという観点で決めているのでしょうね。売り買いはビジネスですから、そこに「ありがとう」という言葉は入ってきません。「ありがとう」に準ずる「いただきます」も入ってこない。ただ、そういう母親がいることも、認めないといけないと思います。

Q.永さんは、どういう意味合いで「いただきます」を?
永氏:
「あなたの命を私の命にさせていただきます」の、いただきます。でも僕は普段、家では言ったり言わなかったり。ましてや、他人には強制しません。絶対言わなきゃいけないとは思いません。
きちんと残さないで食べれば、「いただきます」と言って残すより、いいと思うんです。 
貧しい国には飢えて死んでいる人がいる。日本で残して捨てているご飯があれば、助かる子供たちがいっぱいいるわけでしょう。 食べ物を大事にできているかどうか。 言わないのが「ひどい」と反対することではない、と思います。

以前ある学校の先生が仰っていました。
保護者面談をするので、親へ日時を連絡したところ、「私はその時間、仕事です。学校が面談の時間分の時給を支払ってくれるなら、面談に行きます」と言われたそうです。
価値観の相違とは、こんなものなのでしょうか?

2006/1/23

「励ましの言葉」

ある新聞記者の記事の一部です。

「頑張れ」と人に声をかけないように心掛けている。きっかけには三つの取材経験がある。
一つは不登校取材。「頑張って学校に行こう」との周囲の励ましが重みだったと話す子どもたちの声を聞いたからだ。 過剰な期待に本人が負担を感じるようなら、やめておいた方がいいと考えた。
その前には阪神大震災の取材で「頑張って下さい」と声をかけた被災者に「これ以上、どう頑張ればいいんでしょうか」と問い返された経験もあった。だれもが精いっぱい頑張って生きているのだから、このケースでは少し酷な言葉だったと反省したものだ。
またあるとき、事故で半身不随になった女性と話す機会があり、懸命にリハビリに励む彼女から「『頑張って!』は努力していない人にかける言葉です」と言われたこともある。 
とはいえ、「頑張って」以外に、適当な励ましの言葉を探すのは難しい。
「応援しているから」
「何かあったら連絡しろよ」。大概は握手して口ごもってしまう。
きょうから大学入試センター試験が始まった。受験生は約55万人。わが子もその一人だ。
さて、どう言おうか。娘はさっさと受験会場に向かった。それはそれで良かったが、何かいい言葉はないものだろうか。とりあえず「ご苦労さんでした」と明日言おう。

「頑張れ」。発する側の思いがなかなか伝わらない難しい言葉です。

2006/1/17

今回の投稿は、我が会員中山永浩さんが提供してくれたものです。
本人は謙虚なあまり、投稿をためらっておられますので、代わってご紹介いたします。 

「自分を高める」
二人の木こりがいた。一番目の木こりは、満身の力を込めて木を切った。
休憩も昼休みも取らず、できるだけ多くの木を切るために全力を注いだ。
朝は誰よりも早く働き始め、夕方は誰よりも遅くまで働き続けた。
それを見ていた人たちは、彼があまりにも速く木を切ることに驚嘆した。
しかし、一日が終わる頃には、 二番目の木こりのほうが一番目の木こりより多くの木を切っていた。
一番目の木こりほど懸命に作業をしていたわけではないし、休憩を何度か取っていた。
一番目の木こりは、二番目の木こりに歩み寄って質問した。
「君はどうやって僕よりも多くの木を切っているんだね?僕のほうが朝から晩まで長時間一生懸命に働いているはずなのに。もしよければ、君の成功の秘訣を教えてくれないか?」
二番目の木こりは一瞬考えて言った。
「成功の秘訣なんてとくにないけれど、これだけは間違いない。
どれだけ作業が忙しくても、僕は必ず時間をとって斧を研ぐようにしているんだ。
斧がよく切れれば、より少しの労力でより多くの木を切ることができるからね」
この話の中の「斧を研ぐ」という作業は、自分を高めるということだ。
私たちは時間をとって自分の人生のすべての分野で自分を厳しく見つめなければならない。
「汝自身を知れ」というソクラテスの言葉は、そういう意味だ。
改善する必要のある分野が見つかれば、それを改善する。それが自分を高めるための第一歩なのだ。
自分を高める方法はいくつかある。
そのひとつは、成功哲学の本を読むことだ。
自分を鼓舞してモチベーションを高める本を読むことは、成長のための起爆剤となり、ひいては偉大な業績をあげる原動力になる。
自分の心に栄養を与えることは、時間とお金の最高の投資なのだ。

アレクサンダー・ロックハート

2006/1/13

「粗雑は病気」

お正月にいただいた年賀状を整理も兼ねてゆっくりと拝見していると、 絵の描かれたものが多いことに気付きます。デジカメやパソコンを駆使したものが大半ですが、版画もあれば、水彩や色鉛筆の絵手紙ふうなものもあり、本格的な墨絵などもあります。それぞれに、味があって、人柄が出ています。
年賀状に限らず上手な絵を見ますと、自分に画才がないだけに嫉妬に似た感心をしてしまいます。また決してうまいとは言えない絵を見たときには、妙な共感を覚え、「味」を感じます。
絵に添える文字も、素朴な字がなかなか雰囲気を持っているように思えます。
肉筆の絵や文字には、技術を超えた何かが表現されています。
ある画家は、「稚拙は許せる。未熟もかまわない」と言っています。稚拙や未熟はOKというのですから、下手な絵でもいいということでしょう。 しかしその画家は 「粗雑という病気は絵からとり払わなければならない。粗雑は、心の病だからである」と付け加えています。いい加減で大ざっぱな絵を描いては駄目だというのです。粗雑は病気だそうです。
下手でもかまわないから、ていねいに真剣に描けということでしょう。
仕事も人生も、絵を描くことと一緒かもしれません。

2005/12/26

質問のしかた

「なぜできなかったのか?」という質問は、相手に、できない理由を
列挙させるだけである。
そしてやがてそれが「できない」という信念を植えつけさせてしまう。

2005/12/22

さあ皆さん、仕事でお疲れのところ、一服タイムです。
頭の体操で、固まった脳をほんの少し柔らかくして、気分をリフレッシュさせてから次の仕事に取り掛かりましょう。

(問題)
アメリカ大リーグ、シアトル・マリナーズのイチロー選手は、打席に入るとまずホームベースの位置を確認し、それからキャッチャーをいちべつし、次に相手の守備陣形を見て、その後相手チームの監督の様子をうかがいますが、これには大きな理由があります。さて、その理由とは何でしょうか?

答は下へ「白地で」書いていますので、見る前に少し考えてみてください。

答え
一度に全部を見ることができないから。


この手の問題は、ずっと以前に流行ったことがあり、答えを聞いた人が、よく「ふざけるな!」 「バカにするな!」とわめいたものです。
一見、相手をおちょくったように思える問題ですが、この質問の答えはひとつではありません。上記の答え「一度に全部を・・・」は、一番単純でわかりやすい回答です。出題者を責める前に、当たり前のことを忘れてしまった自分の非を考えたほうがよろしいのでは・・・。
中学のとき、理科の試験に「鉄でできた船がなぜ浮くのか?」という問題が出題されました。その正解は、「沈まないから」でした。
先生いわく、「まず現実を見ろ。浮力がどうのというのはその後だ。 知ってるつもりの知識だけで考えると、肝心なことが見えなくなる」とのことでした。

2005/12/21

「質問のしかた」

具体的で正確な数字を知るためには、質問も具体的でなければならない。
曖昧な質問には、曖昧な答えしか返ってこないからだ。
「売れ行きはどうだ?」と質問すれば、「いいです」とか「そこそこです」という答えしか返ってこない。しかし、「今月いくら出荷したか?」と問えば、具体的な数字が返ってくる。「今のコストはいくらか?」の問いには、目標値ではなく実際にかかっているコストの数値で答えなければならない。
具体的な質問は、質問者が正確なデータを知るだけでなく、質問を受けた者がそのデータの重要性を再認識することにもなる。

2005/12/20

記事の抜粋です。

「品格」

オルファ株式会社の岡田四郎社長は、次のように話しておられた。「すべてにわたって、最終的に問われるのは『 品格』 ということではないでしょうか。 
国も、会社も、個人も」岡田社長は「多様化するとも多角化せず」を基本方針とし、カッター一筋の堅実経営に徹してこられた。
その結果、オルファの製品は今や国内外で高いシェアを誇っている。 
「オルファ」という社名と商標は、“折る刃”式カッターに由来する。刃先を少し折っただけで再び鋭い切れ味が得られるオルファのカッターを愛用している人は、読者の中にも多いことだろう。
製品が国外でも普及しているのに、同社の工場は海外に一カ所もない。
小さな会社が海外に工場を建設するとなれば、全社一丸となって取り組まなければなるまい。
そうすれば力が分散して、それだけ主体部門が手薄になる。協力工場の仕事をなくしてしまうことも、とうていできない。
それが大きな理由だという。
本業に徹して浮利を追わず、協力企業との共存共栄の道を求めて社会への貢献に努力する岡田社長の経営姿勢は、そのまま「オルファ株式会社の品格」となっている。

2005/12/15

「危機感」

世間は、耐震構造偽装事件で大騒ぎになっています。
直接人間の生死に関わる事件ですから、注目を集めるのは自然の流れなのでしょう。
弊社も含めて、直接消費者の生死に影響を及ぼすことが通常では考えにくい製品やサービスを扱う会社は、えてして観客席に座ってしまいがちです。
しかし、ささいな失敗やクレームあるいはロスが、顧客を裏切り、やがて自分に返ってくることは、顧客の生死ではなく、会社のそして自分の生活の生死に繋がることを意識しなければなりません。
また、この騒ぎの中、「安物を買うと後が怖いことを示すいい例だ。
これで変な値下げ要求はなくなる!」といった販売者の声をあちこちで聞きます。
これも、自社のコスト削減意識を薄めてしまう元になりかねません。
今回の事件に限らず、非日常的な出来事は、必ず多くの教えをもたらしてくれます。
つい希薄になりがちな危機感を思い起こさせてくれる警鐘だと思います。

2005/12/12

「日本敗戦記の教え」

「敗戦真相記」 という本があります。この本は、日本が第二次大戦に負けた原因を独自の視点で分析した内容となっています。
著者は、日本が戦争に突入した諸事情として、
(1)日本の指導者がドイツの物真似をした。
(2)軍部が己を知らず、敵を知らなかった。
(3)世論本位の政治を行なわなかった。
という3点を挙げており、その一つ一つの見方がたいへん教訓に満ちています。
確かに、
(1)は自社の独自性(強み)を持たない。
(2)は競合のことを知らない。
(3)は顧客の声(要望)
を聞かない。に繋がります。
日本が犯した過ちを事例で紹介しますと、開戦後、日本語の研究所をつくり、日本の分析を多面的に行い、様々な手を打ってきたアメリカに対して、日本は敵国語だといって、英語を国中から排除してしまいました。戦争になったからこそ、相手を研究すべきなのに、実際にしたことはその逆でした。
敵国の力量と実情を知ろうともせず、ただ闇雲に戦っても、科学的な研究に力を入れる英米に勝てるわけがないと著者は結論づけています。
企業という組織においても、断片的な情報から総てのことを知っているように思い込んでしまったり、自分だけの経験から現実とかけ離れた予測を立てたりして、事実を議論のテーブルに乗せないまま、重大な決断を下してしまうことが時としてあります。              

ふたつ目のエピソードを引用しますと、戦時中、日本国内の軍需工場はいくつかありましたが、同じ工場に陸軍用と海軍用に二つの門があり、工場への出入りは別々でした。さらに、そればかりか、同じ敷地内にある軍需資材でありながら、お互いに決して融通し合わないという事実があったらしく、こうした陸・海軍の不一致が致命的な敗因につながったと分析しています。
今でも国や企業の中には組織の壁があり、それが意思決定を阻害しているケースは少なくありません。

著者は、「半世紀以上の時を経た今、日本は同じ過ちを繰り返している。敗因として挙げたあらゆる項目が、今の日本にそのまま当てはまる」と指摘しています。
よく「歴史から学べ」と言われますが、歴史が失敗を前例として示してくれているのですから、我々は、現状に甘んじることなく、事実を常に確認し、世情や顧客の変化の中で、わが社があるいは自分がどうあるべきなのか、よく考えるべきでしょう。
一人一人の品質が、組織全体の品質を作っています。

2005/12/8

「おかしな論法」

「日本酒を飲むと酔う。ビールを飲むと酔う。ウィスキーを飲むと酔う。ワインを飲むと酔う。
そのいずれにも水が入っている。したがって、『水』が酔っ払う原因である。」
この論法は、誰が聞いても当然おかしいですよね。
しかし、会議や打ち合わせのとき、結論を先に用意しておいて、それに合わせて、都合の
良い例ばかり並べる人がいます。
個々の具体的な事例から、一般的な命題や法則を導き出すことを 「帰納法」 というようで
すが、意外と我々も陥りやすい考え方かもしれません。

2005/12/5

「明確な主張」

とある家庭での出来事。
ある日、奥さんの両親がやってきた。4人でお茶を飲み、話をしているうちに夕食時となった。
主人は両親に気を遣って、「食事にでも行きましょうか」と誘った。両親はその提案に応じて、4人は車に乗り近郊のレストランに向かった。あいにく目当ての店が休みであったため、他の店に入って食事をした。しかし、その店は味もサービスも悪く、みんな食事を楽しむ雰囲気ではなかった。
家に帰ってから主人が「もう二度とあんな店に行く気はしない」と何気なくこぼしたところ、「私だってそうよ。慌てて出掛けたから服が選べなかったわ」と奥さんが言う。
両親も「私たちも誘いを断るのは悪いと思って・・・」となってしまった。
目当てのお店が開いていて満足していれば出なかった不満が、一気に噴き出てしまったのである。

普段の生活でも、仕事でも、へんな気遣いやちょっとしたためらいが誤解を招いたり、後々大きな爆弾になったりすることがあります。
明確な自己主張をしないと起こる現象です。

2005/12/2

マニュアルの世界 その3

「緊急」に分類された、稟議書があがってきた。
稟議の理由、投資金額、投資対効果の計算書、図面、工期等々一通りの資料が揃った稟議書だ。しかし、稟議を受けた者として
は、物足りない。
「緊急」に分類されたものを会社のルールだからといって、総務を通し、役員に回覧され、結果を待っているその姿勢が歯がゆい。
緊急であれば、なぜ申請した本人が稟議書片手に直談判に来ないのか。一番大切な熱意が欠けているのだ。

2005/12/1

「マニュアルの世界」

マニュアルの世界 その1
あるハンバーガーショップに一人の女子中学生が来て、注文をした。
「ハンバーガー27個ください」。店員は接客マニュアルの通り注文を繰り返し、その次にこう言った。 
「お持ち帰りですか? それとも、こちらでお召し上がりですか?」
マニュアルに忠実なあまり、状況判断ができない悲劇である。

マニュアルの世界 その2
ある会社がイベントを企画し、そのメインキャラクターをディズニーランドのミニーマウスとした。早速ディズニーランドに問い合わせたところ、次のような返事が返ってきた。
「ミニーマウスはレディーであり、まだ子供ですので、夜間の外出や遠方へのお出掛けは禁じられております。」

2005/11/28

「成功者」

「成功のためのポイント」なるものを、色々なところで見聞きします。よくあるパターンが次の項目です。

1.アイディアを出す
2.イマジネーションをはたらかせる
3.熱意を持つ
4.ただちにとりかかる
5.繰り返す
6,確信する
7.結果を導き出す

これをある友人と話していたら、その友人から面白いコメントが返ってきました。
その友人いわく、「これらのポイントは、浮浪者にも当てはまる」とのこと。
いかなることかと問うと、

1.アイディア・・・様々なしがらみから抜け出すためには、浮浪者がよい。
2.イマジネーション・・・気ままに生きていくイメージを持つ。
3.熱意・・・人生の落伍者になることに、熱意を燃やしている。
4.ただちにとりかかる・・・期を逃がさずに、浮浪者になることにただちにとりかかり、先送りしない。
5.繰り返し・・・朝から酔っぱらっていて、毎日失態を繰り返している。
6,確信・・・「自分には何もできない」と確信している。
7.結果・・・結果は、申し分ない浮浪者の出来上がりである。
という説明でした。

この7つのステップを踏んでいれば、「浮浪者も成功者である」ということでしょうか? 

2005/11/24

「二人の松下幸之助」

松下幸之助氏が労働時間について、「人より一時間余計に働くことは尊い努力である。勤勉である。
だが、今までよりも一時間少なく働いて、今まで以上の成果を挙げることもまた尊い。そこに人間の働き方の進歩があるのではないだろうか。 それは創意工夫がなくてはできない。 額に汗することを讃えるのもいいが、額に汗しない涼しい姿も讃えるべきであろう」という言葉を残しています。
まさに経営の神様らしい含蓄のある言葉です。 しかし、「 ゼロから世界の松下を作る過程で、このような悠長なことを言っていたのか?」と思います。松下氏が言うように、一時間少なく働いて「今まで以上」の成果をあげられるようになったのなら、もう一時間多く働いて、さらに成果をあげることが、企業の立ち上げ・成長において必要であったのではないでしょうか。
人・モノ・金・情報・顧客、総ての経営資源に劣っている中小・零細企業が、競合や大企業に立ち向かっていくには、きれいごとで済まされないものがいくらでもあります。
立派な経営者(神様)の言葉は、人の琴線に触れ、説得力もあります。しかし、神様になる前となった後では、発する言葉が変わってしまうこともあるでしょう。どちらの言葉を参考にするかは我々次第です。人の言葉は、自分の今現在の位置とこれからの方向性を確かめた上で参考にしなければなりません。
来週29日には、経営講演会が開催されます。
人のお話は教科書ではなく、あくまでも参考書であることを肝に銘じて講演に臨みたいと思います。

2005/11/23

堂々と「鬼」社員で生きぬけ!   11月29日講師

     染谷和巳著P28抜粋紹介 倉敷市立中央図書館 159.4

地位は社員でも、気構えは社長

「工場を買うよりも、この男を買いたい」

 若い営業マンがいつものように商談を持ち込んできた。社長は以前からこの営業マンに目をかけてきた。話していて気持ちがいい。明るい声、要点を押さえた話し振り、質問にテキパキ答える。頭の回転の良さに好感を抱いていた。
「東京にこれこれの工場がある。東京進出をはかる御社には“渡りに舟”のいい話である。ぜひ買い取って欲しい。」これが営業マンの要件であった。
 営業マンの話しぶりは熱意にあふれ説得力があった。社長は話に引き込まれた。確かに自社の今後の発展にとって魅力的な話である。社長は決断した。
「わかりました。いい話だと思います。ただし工場買取りには一つ条件があります。」
 営業マンは身を乗り出して社長の言葉を待った。
「うちも今、拡張の途上で人がおりません。責任者がいないのです。だから貴方がうちの社員になって、その工場の経営と管理をしてください。これが条件です。」
営業マンは即座に答えた。
「申し訳ありませんが、その条件はお受けするわけにはいきません。私は社長ですから。今の会社を辞めるわけにはいかないのです。」
「えっ、君、社長なの? 営業部の社員ではなかったのですか。確か名刺には・・・。」
「いや、身分は社員ですが、私の心持はいつでも社長です。社長が自分の会社を捨てて他の会社へ行くことは出来ません。」
真面目な顔で言うので社長はその顔をまじまじと見た。それが法螺(ほら)だとわかり社長は
「はっはっはっはっはっはっはっはっはっ」と笑った。営業マンもつられて笑った。
ひとしきり笑ったあと、社長は真剣に思い始めた。“その工場を買うよりも、この男を買いたい”と。
社長は誠実で義理堅い人物として通っていた。「いくら人が足りなくても、よその会社の社員を引き抜くことはしてはならない。道義にもとる。」と幹部に言い含めていた。それでもこの男が欲しい・・・。
「私は社長です。」としゃあしゃあと言う男に社長は惚(ほ)れた。
「よし、きちんと筋を通して堂々ともらい受けよう。」
工場の売買契約を済ませた後、社長はある有力者に男の引抜を依頼した。有力者は先方の経営者に頼み込んだ。
先方の経営者は「あの社員はやれん。何と言われてもやれん。」と断った。男は営業の柱であり、近い将来経営幹部になることが約束されている人物である。「そんな人材を、はいどうぞとあなたなら出しますか。転職は自由だが、本人も行く気はないと
言っている。あきらめてください。」とにべもない。
普通ならこれでオシマイになる話だが、それがオシマイにならなかった。
仲介をした有力者は依頼主の社長をよく知っていた。その経営手腕と人間としての器の大きさに敬服していた。人の引き抜きをたのむような人ではない。その社長が頭を低くして真剣に頼んできた。これは余程のことだ。「だめでした。」では済まない。
期待に応えなければならない・・・。先方の会社に日参した。「この移籍は本人だけでなく、いずれあなたの会社にとっても大きい利益になる。目先の損にとらわれず将来の得を考えてほしい。」と。何度も先方の経営者を掻(か)き口説いた。
 熱意は通じた。
「うちとしては放しがたい社員だけれども、先方の会社に差し上げましょう。」
営業マンは移籍した。社長の会社に入り、やがて3百人の部下を持つ営業部長になった。

「一つ上のポストになったつもりで」
 この話は『社員稼業』という本に紹介されている実話である。社長とは、松下電器産業の創業者であり「経営の神様」と言われた、故松下幸之助氏である。
さて、営業マンが自社の社長だけでなく、経営の神様にも、そして移籍の仲介をしてくれた某有力者にも高く評価されていたのは何故か?。
何故でしょう
営業マンが松下氏に東京の工場を売り込みに来た頃は、不動産会社の課長補佐にすぎなかったという。だが営業マンは、自分は社員でも課長補佐でもなく社長だ、という気構えで仕事をしていた。
“一つ上のポストについたつもりで仕事をしろ。”という教えがある。係長なら課長、課長なら部長になったつもりで仕事をする。それだけで、ものの見方や考え方が変わってくる。視野が広くなる。判断力が鋭くなり、責任感が強くなる。組織や全体
を優先して考える習性が身につく。人やモノやカネの動きに敏感になる。つまり経営感覚が磨かれるのである。“一つ上のポストについたつもり。”は、私たちを成長させる優れた思考訓練法である。
営業マンは課長補佐だったが、部長も常務も専務も通り越して、自分は社長だという気構えを持っていた。その気構えが自信と迫力と年に似合わぬ重厚な存在感を作り出した。それが一流の経営者の琴線に触れたのではないだろうか。
松下幸之助氏は言っている。
「自分は単なる会社の一社員ではなく、社員という独立した事業を営む主人公であり経営者である。自分は社員稼業の店主であるというように考えてみてはどうか。そういう考えに立って、この自分の店をどう発展させていくかということに創意工夫をこ
らして取り組んでいく。そうすれば、単に月給をもらって働いているといったサラリーマン根性に終わる様なこともなく、日々生きがいを感じつつ、愉快に働くことができるようになるのではないか。」

3百人の部下を持つ営業部長の後日談。。
昭和二十年の敗戦後、財閥解体が行われた。松下電器も大幅な事業縮小を強いられた。多くの人が不本意にも会社を去り、職を失った。営業部長もその一人であった。
「身を引いて別の商売をする」と松下社長に申し出た。それに対して松下社長は「松下電器はこの先どうなるかわからない。志ある者はこの際、志を立てなければならない。君の志をぼくは受け入れよう。君は必ず成功する。」と答え、あたたかく送り出
したという。営業部長は独立し、今度は本当に会社の社長となって、松下社長の惜しみないバックアップもあって、成功への道を歩み続け、日本の高度経済成長の推進役を務め、経済界の重鎮(じゅうちん)となったのであった。

2005/11/20

エルトゥールル号の遭難 〜生命の光から〜

辛いニュースが多い世の中にほんの少しやさしさを取り戻せる、この『小さな歴史の物語』が、また、あなたに何かを思い出させてくれることを・・・・

和歌山県の南端に大島がある。
その東には灯台がある。
明治三年(1870年)にできた樫野崎灯台。
今も断崖の上に立っている。

 びゅわーんびゅわーん、猛烈な風が灯台を打つ。
 どどどーんどどどーん、波が激しく断崖を打つ。

台風が大島を襲った。明治23年9月16日の夜であった。
午後9時ごろ、どどかーんと、風と波をつんざいて、真っ暗な海のほうから音がした。灯台守(通信技手)は、はっきりと その爆発音を聞いた。
「何か大変なことが起こらなければいいが」
灯台守は胸騒ぎした。しかし、風と、岩に打ちつける波の音以外は、もう、何も聞こえなかった。
このとき、台風で進退の自由を失った木造軍艦が、灯台のほうに 押し流されてきた。全長七十六メートルもある船。
しかし、まるで板切れのように、風と波の力でどんどん近づいてくる。
あぶない!灯台のある断崖の下は「魔の船甲羅」と呼ばれていて、 海面には、岩がにょきにょき出ている。
 ぐうぐうわーん、ばりばり、ばりばりばり。
船は真っ二つに裂けた。その瞬間、エンジンに海水が入り、大爆発が起きた。 
この爆発音を灯台守が聞いたのだった。
乗組員は海に放り出され、波にさらわれた。またある者は自ら脱出した。 真っ暗な荒れ狂う海。どうすることもできない。波に運ばれるままだっ た。そして、岩にたたきつけられた。 一人の水兵が、海に放り出された。大波にさらわれて、岩にぶつかった。意識を失い、岩場に打ち上げられた。
「息子よ、起きなさい」
懐かしい母が耳元で囁いているようだった。
「お母さん」
という自分の声で意識がもどた。
真っ暗な中で、灯台の光が見えた。
「あそこに行けば、人がいるに違いない」
そう思うと、急に力が湧いてきた。40メートルほどの崖をよじ登り、ようやく灯台にたどり着いたのだった。
灯台守はこの人を見て驚いた。服がもぎ取られ、ほとんど裸同然であった。顔から血が流れ、全身は傷だらけ、ところどころ真っ黒にはれあがっていた。灯台守は、この人が海で遭難したことはすぐわかった。
「この台風の中、岩にぶち当たって、よく助かったものだ」と感嘆した。
「あなたのお国はどこですか」
「・・・・・・」
言葉が通じなかった。それで「万国信号音」を見せて、初めてこの人はトルコ人であること、船はトルコ軍艦であることを知った。また、身振りで、多くの乗組員が海に投げ出されたことがわかった。
「この乗組員たちを救うには人手が要る」
傷ついた水兵に応急手当てをしながら、灯台守はそう考えた。
「樫野の人たちに知らせよう」
灯台からいちばん近い、樫野の村に向かって駆けだした。電灯もない 真っ暗な夜道。人が一人やっと通れる道。灯台守は樫野の人たちに急を 告げた。 
灯台にもどると、10人ほどのトルコ人がいた。全員傷だらけであった。 助けを求めて、みんな崖をよじ登ってきたのだった。
この当時、樫野には50軒ばかりの家があった。船が遭難したとの知ら せを聞いた男たちは、総出で岩場の海岸に下りた。だんだん空が白んで くると、海面にはおびただしい船の破片と遺体が見えた。目をそむけた くなる光景であった。村の男たちは泣いた。
遠い外国から来て、日本で死んでいく。男たちは胸が張り裂けそうに なった。
「一人でも多く救ってあげたい」
しかし、大多数は動かなかった。
一人の男が叫ぶ。
「息があるぞ!」
だが触ってみると、ほとんど体温を感じない。
村の男たちは、自分たちも裸になって、乗組員を抱き起こした。
自分の体温で彼らを温めはじめた。
「死ぬな!」
「元気を出せ!」
「生きるんだ!」
村の男たちは、我を忘れて温めていた。次々に乗組員の意識がもどった。船に乗っていた人は600人余り。そして、助かった人は69名。この船の名はエルトゥールル号である。
助かった人々は、樫野の小さいお寺と小学校に収容された。
当時は、電気、水道、ガス、電話などはもちろんなかった。
井戸もなく、水は雨水を利用した。 サツマイモやみかんがとれた。
漁をしてとれた魚を、対岸の町、串本で売ってお米に換える貧しい生活だ。ただ各家庭では、にわとりを飼っていて、非常食として備 えていた。
このような村落に、69名もの外国人が収容されたのだ。島の人たちは、生まれて初めて見る外国人を、どんなことをしても、助けてあげたかった。だが、どんどん蓄えが無くなっていく。ついに食料が尽きた。台風で漁ができなかったからである。
「もう食べさせてあげるものがない」
「どうしよう!」
一人の婦人が言う。
「にわとりが残っている」
「でも、これを食べてしまったら・・・・・」
「お天とうさまが、守ってくださるよ」
女たちはそう語りながら、最後に残ったにわとりを料理して、トルコの人に食べさせた。こうして、トルコの人たちは、一命を取り留めたのであった。また、大島の人たちは、遺体を引き上げて、丁重に葬った。

このエルトゥールル号の遭難の報は和歌山県知事に伝えられ、そして明治天皇に言上された。明治天皇は、直ちに医者、看護婦の派遣をなされた。さらに礼尽くし、生存者全員を軍艦「比叡」「金剛」に乗せて、トルコに送還なされた。
このことは、日本じゅうに大きな衝撃を与えた。日本全国から弔慰金が寄せられ、トルコの遭難者家族に届けられた。

次のような後日物語がある。
イラン・イラク戦争の最中、1985年3月17日の出来事である。
イラクのサダム・フセインが、「今から48時間後に、イランの上空を飛ぶすべての飛行機を 撃ち落とす」
と、無茶苦茶なことを世界に向けて発信した。
日本からは企業の人たちやその家族が、イランに住んでいた。
その日本人たちは、あわててテヘラン空港に向かった。しかし、どの飛行機も満席で乗ることができなかった。世界各国は自国の救援機を出して、救出していた。日本政府は素早い決定ができなかった。空港にいた日本人はパニック状態になっていた。
そこに、二機の飛行機が到着した。トルコ航空の飛行機であった。
日本人二百十五名全員を乗せて、成田に向けて飛び立った。
タイムリミットの一時間十五分前であった。
なぜ、トルコ航空機が来てくれたのか、日本政府もマスコミも知らなかった。
前・駐日トルコ大使、ネジアティ・ウトカン氏は次のように語られた。
「エルトゥールル号の事故に際し、大島の人たちや日本人がなしてくださった献身的な救助活動を、今もトルコの人たちは忘れていません。私も小学生のころ、歴史教科書で学びました。トルコでは、子どもたちさえ、エルトゥールル号のことを知っています。
 今の日本人が知らないだけです。それで、テヘランで困っている日本人を助けようと、トルコ航空機が飛んだのです。」

皆さんいかがですか。
この話を読んで、あったかい何かが心に残りませんか。

実は私もその飛行機に乗ってイランから命からがら日本に帰って来ました一人です
・・・・失礼、ここだけは作り話でした。

土倉監事

2005/11/10

「役割を忘れた時計」

店頭で誰か買い手が来ないかと思っていた1台の時計は、ある日一人のお客に買われました。
机の上に置かれて、「さあ、これからガンバルゾ!」と動き出してから、「待てよ、1秒ごとに針を動かすとなると、これから先どうなるか」と考えました。
「1日に86,400回、1月で2,592,000回、1年では31,104,000回。ウハー、こんなに働き続けたら、たちまちガタがきてしまう」と思いました。そして、何とかひと休みしようと考えていたところ、幸いにも家の人が掃除をしているときに机から落とされてしまいました。
「チャンス!」とばかりに、時計は働くのをやめてしまいました。家の人は、こんなに簡単に止まるなんて欠陥商品かもしれないと思い、買った店へ持って行きました。特にどこも故障の箇所は見つかりません。店主から大事に扱うように言われ、時計は再び机の上に戻ってきました。
今度はどのようにして休みをとろうかと考えていると、子供がコップを倒し、水が掛かりました。
「今だ!」。時計はまた働くのをやめてしまいました。家の主人は、再度販売店へ持って行きました。
店主は「お客様、どこも悪いところは見当たりません。念のためにメーカーへ送り返してみましょう」と言って、代わりの時計を渡しました。働くのをやめた時計は、「これでしばらくのんびりできる」と思いながら眠っていました。
代わりの時計は、自分の仕事は1秒1秒正確に時を刻むことだと思い、一生懸命働き続けました。もし電池が切れたら入れ替えてくれるだろうし、汚れたらきれいに拭いてくれるだろう。大きな故障でなければ、お店で直してくれるに違いない。今の自分にとって大切なことは、考えても仕方のない先のことで悩むのではなく、自分の使命は正確な時間を守ることだと言い聞かせて、
毎日時間を刻みました。
一方のメーカーに回された時計は、工場がフル稼働のため、点検どころではありません。やがて時が過ぎ、最新鋭だった時計は、いまや誰も見向きもしてくれなくなりました。メーカーも、また送ったり、送り返されたりしてはかなわないと、特にどこも悪いところのない時計をスクラップにすることに決めました。

2005/11/15

「あんさんらの仕事」

かつて藤山寛美という一世を風靡した喜劇役者がいました。
彼がある日、若い弟子たちに向かって言った話があります。
「今の若い人いうのんは、自分で考えて何かしたろいう人が少ない。
わては別にそれを悪いとか、けしからんとかいわしまへんし、責めもしまへん。
あんたらがトイレに行きたいいうたら、トイレへ連れて行ってあげます。
トイレの戸も開けたげます。
パンツおろしてくれいうならおろしてあげます。
お尻も綺麗に拭いてあげます。
それがわての仕事や思うてます。
けどでんな、ウンコきばんのは、わてにはできしまへん。
自分できばっとくんなはれ。
それはあんさんらの仕事でっせ」

2005/11/14

「会議をコントロール」

「部屋のサイズによって、会議の結論が違ってくることがある」ということを模擬裁判で実験した人がいます。
それによりますと、「男性の場合、部屋が大きいと判決が甘くなり、部屋が小さいと判決が厳しくなった。また、女性の場合は、男性とまったく正反対の結果になった。」とのこと。
女性は、狭い場所の方が和やかになるようです。
この現象を利用すれば、会議の雰囲気をある程度コントロールできるかもしれません。
男性だけで本音をぶつけ合って議論させたいなら、小ぢんまりとした部屋を使い、出席者同士の体がぶつかるくらいにすると良いかも。
お試しあれ!

2005/11/10

さあ皆さん、仕事でお疲れのところ、一服タイムです。
頭の体操で、固まった脳をほんの少し柔らかくして、気分をリフレッシュさせてから次の仕事に取り掛かりましょう。

(問題)

中国戦国時代の韓非子は、隣国との付き合い方について述べています。
次のどれが韓非子の述べた内容でしょうか?

1)隣国から立派な人物が使節としてやってきたら、何の成果も与えるな。
  しかし、つまらぬ人物がきたら、厚遇してちょっとした成果を持ち帰らせよ。

2)隣国から立派な人物が使節としてやってきたら、厚遇せよ。
  しかし、つまらぬ人物がきたら、斬首にして国の威厳をみせつけよ。

3)どんな人物が使節としてやってこようと、常に変わらぬ態度で接するようにせよ。

答は下の方へ(白い字で)書いていますので、少し考えてみてください。反転させて見てください。↓

正解は、1)です。

韓非子はこう考えます。「つまらぬ人物を厚遇すれば、隣国ではつまらぬ人物がしだいに発言権を得るようになるはずだ。そして、やがて隣国は滅んでしまうだろう」。
韓非子の方法は、一種の情報操作ともいえます。こういう人もいるということに要注意です。現代は情報操作の影響が昔よりずっと大きくなっていますので、なおさら注意しなければなりませんね。

2005/11/9

「堅実な汗」

ある会社に大型トラックが横付けして、荷降ろしをしていました。
この季節にも関わらず、作業者が上着を脱いで、汗をかきながら荷を動かしています。 
会議所へ出向いた折、宅配便の青年とすれ違いました。大きな荷物を一人で重そうに担いでいます。
これらの光景を見ていると思わず「ご苦労様です」と声を掛けたくなります。
自社の売り上げを上回る資金を調達して、放送局買収に名乗りを上げる会社の社長が時代の寵児となっています。雑誌には「株で億万長者に」の見出しが躍っています。 
それぞれの価値観で行動していることに批判の入り込む余地はありません。ただ、堅実に働く人たちの汗を大事にしたいと改めて思うようになりました。

2005/11/7

「養護学校の生徒からのプレゼント」

過日、養護学校から弊社へ職場体験のため、生徒さん2名が来られました。
たった4日間の研修ですが、朝から夕方まで彼らは一生懸命仕事に取り組んでいました。 
その姿は、鬼気迫るものさえ感じさせます。
彼らは、障害を持つ身であっても、「自立したい」「一人でできる」ことを必死になって行動で主張しています。
障害があるからといって、施設に入れることが必ずしも最善の策でないことは皆さんもお分かりかと思います。彼らにとって施設は、決して居心地のよいことばかりではありません。
施設という名のもとに社会から隔離されることを嫌っている人も少なからずいます。
彼らは、障害を持っていても一般社会で生きていけることを証明し、世間に受け入れてもらうことを望んでいます。
ですから、仕事に対する彼らの姿勢は、俗に言われる「健常者」より上かもしれません。 
クロネコヤマトの創設者、故小倉昌男氏は「営業所に障害者を一人雇えば、社員教育なんて必要ない。思いやりと助け合いの心が自然に生まれてくる」と言っておられましたが、弊社の社員も彼らと一緒に働くことで、思いやりや心配り、気遣いが自然と出てきました。 
彼らから教わることは少なくありません。
何年か前、子供を連れて養護学校の運動会を見に行ったことがあります。そのとき当時 小学校1年生の息子が、かけっこをしている養護学校の生徒たちを見て、「ぼくだったら、もっと早く走れる!」と言いました。息子の中には「障害者」という言葉が存在しません。
大人にはない平等な目です。

2005/11/4

ある農夫の一日

ある農夫が、朝早くに起きて畑を耕そうとした。ところが、トラクターの燃料が切れていたので、近くまで買いに行こうとした。途中でブタに餌をやっていないことを思い出して、納屋に餌をとりにいった。すると納屋に置いてあるジャガイモが発芽しているのを発見した。これはいけないと思い、ジャガイモの芽を取っているうちに、暖炉の薪がなくなっていることを思い出して薪小屋へ足を運んだ。薪を持って母屋へ向かっていると、ニワトリの様子が変である。どうも病気にかかったらしい。取り敢えずの応急処置をほどこして、薪を持って母屋にたどり着いた頃には、日がトップリと暮れていた。
農夫は、やれやれ何とせわしい一日であったかと思いながら、一番大切な畑を耕すことができなかったことに気がついたのは、床に入ってからであった。
皆さんも同じような経験があると思います。
一日の時間について、色々なものをトランクに詰める作業に似ているという話を聞いたことがあります。何気なく詰めていると、一番大切なものが入らなくなることがありますし、いい加減な詰め方をしていると10入るところが8くらいになってしまうということです。
まず、一日にやらなければならにことを全部書き出し、次にどうしても今日しなければならない重要なことを選び、最後に緊急性を考えて仕事に順番をつけて処理すれば、きっと仕事の能率は上がるんでしょうね。
ある経営者に上記の手順を「紙に書くこと」それをアドバイスしただけで、感謝され多額の報酬をもらったコンサルタントがいるそうです。

2005/10/31

「100円ショップの行く末」

日用雑貨品などの物販が中心だった100円ショップが、サービスや娯楽の分野にも登場してきたと聞きました。
1分100円で部分カット(散髪)をする店。15分100円でビリヤードやダーツができる店。カラオケをはじめ、約30種類のサービスを10分100円で提供する店等々。
ちょっと気になる前髪だけ切ってもらう。 時間潰しに10〜20分遊びたい。そんな顧客層を切り開いた新しい市場です。
100円ショップを訪れるお客には、「たくさんだと割安」という誘惑は存在しません。「サービスの細切れ販売」もまさに「ちょうどいい量だけでいい」という需要に応えるものなのでしょう。売り手の意識がどこにあれ、買い手は自分たちにとってのメリットを発見し、うまく利用していこうとします。その動きに敏感に対応できれば、ビジネスはおのずと方向転換しながら発展するのだなあと感心してしまいます。
100円ショップは、コンビニに続く日本らしいビジネスの象徴的業態なのかもしれません。
ビジネスチャンスは、身の回りにたくさん転がっているのでしょうね。

(番外不思議現象)
ヴィトンの財布を持って、100円ショップで買物をする人。
シャネルの腕時計をして、1,000円のフリースを着る人。
エルメスのバッグを抱えて、吉野家で食事をする人。
日本人って、不思議だと思いませんか? 

2005/10/28

「隗より始めよ」

中国の「戦国策」という書物に、次のような話があったそうです。
戦国時代、燕(えん)の照王は、人材を集めようとして、自分の所に居候として住まわせている郭隗(かくかい)という人物に、どうしたらよいものか尋ねました。
隗は、「それならば、まずこの私を取り立ててください」 と図々しく要求しました。 

その願いは幸いにもかなえられましたが、彼が照王を説得した方法は、自分に素晴らしい才能があると訴えたわけでもなく、恩返しをしたいからといったわけでもありません。
彼は、「私のような者でも大事にしていただけることが知れ渡れば、私より優れた人物が競って集まってくるでしょう」と照王に提案したのでした。

隗の提案は、ある種の詭弁かもしれませんが、機知に富んだ売り込み方です。
自分を売り込むのに、鼻につく自慢をすることが逆効果になることを知っていたのでしょう。
また、照王も人物を見抜く確かな目を持っていたからこそ、隗のユニークな論法に才能の芽を感じたのだと思います。
最初、隗に相談した時点で、隗が認められていたとも思えますが・・・。
「隗より始めよ」 の言葉の意味は、 「事を始めるには、まず言い出した当人から始めよ」とか「手近なことから始めよ」と辞書にはありますが、この故事にはもっと深い意味が込められているんですね。

2005/10/27

さあ皆さん、仕事でお疲れのところ、一服タイムです。
頭の体操で、固まった脳をほんの少し柔らかくして、気分をリフレッシュ
させてから次の仕事に取り掛かりましょう。

(問題)
ある動物学者の話によると、魚を捕るとき実に素早い動きをする自然界
の強者「白熊」くん、ペンギンだけはどうしても捕まえることができないそう
です。
な〜ぜだ?

答は下の方へ(白い字で)書いていますので、少し考えてみてください。反転してみてください。

(答え)
白熊は北極に住む動物で、ペンギンは南極に住む生き物だから。
すぐに気付いた方は、素晴らしい!
当たり前のことに気付かず悩んでしまう人、冷静に判断すればどうってことありません。
問題を難しくしているのは、問題自体ではなく、考える人次第なんですよね。

 

2005/10/27

千葉ロッテマリーンズファンの方、日本シリーズ優勝おめでとうございます。
晴れて「日本一」となられましたこと、心よりお祝い申し上げます。
今回の日本シリーズは、実にあっけなく終わってしまった感じがしますが、とても内容の濃いシリーズだったと思います。
特に、ロッテのバレンタイン監督や選手の言動が素晴らしく、見ていて気持ちのいいものでした。
負けてこんなに爽やかな気持ちになったことは、あまり経験がありません。
試合中のプレーは、どの選手もはつらつとして躍動感があり、全員で野球を楽しんでいたようです。
試合後のインタビューでも、決しておごらず、相手を称える言葉は、敵ながら「あっぱれ」と思わずにいられません。
野球の技術や戦略的なことよりも、人間性に負けてしまった気がします。
若手中心のチームでありながら、ここまで人間力を高めたバレンタイン監督の手腕は、大いに参考になります。

一方、負けた阪神の選手にも拍手を送りたいと思います。
セ・リーグの覇者として臨んだ大舞台で、自分たちの力を示す間もなく敗れたことは、悔しさ、情けなさ、申し訳なさの入り混じったものだと想像します。
しかし、ロッテの優勝が決まり、バレンタイン監督の胴上げが始まっても、ベンチ裏に引き上げる選手は誰一人おらず、しっかりとその光景を目に焼き付ける姿は、「来年こそ!」の思いを感じさせてくれました。
たった4試合の短いシリーズでしたが、スポーツの素晴らしさを満喫できた4日間でした。
両チームの選手に感謝します。

鴨井尚志

2005/10/26

アドリブ教育

歌舞伎の世話物には「捨てぜりふ」というのがあって、役者が雰囲気により、とっさにその場で脚本にないセリフを言うことがあるそうです。
脚本にないせりふ、つまりアドリブのことで、舞台の空白を埋め、情緒を盛り上げるのに一役買っています。
若いころの中村錦之助氏が、彫り物をした鳶の役で舞台に出ていたときのこと、頭役の六代目菊五郎に、いきなり「おめえのは、どこで彫ったんだ」と問いかけられ、思わず「うっ…」とつまってしまいました。
あとで先輩から「そんなときは彫辰でも、彫金でも、“彫”の付く名を挙げとけばいいんだ」と教えられ、翌日は早速「彫辰だ」。すると今度は「何番彫りだい」との問い。またもや楽屋で「一番彫りは一番の彫り手によるものだから、お前さんのような若造役は三番か、四番彫りと答えておけば無難だよ」の助言。そこで次の日、「三番彫りだい」。
と、「ボカシは何本だい」ときました。当てずっぽうに「五本だい」と答えたら、「そんなのねえや」。
観客にほとんど聞こえない捨てぜりふが、若手俳優の格好の試験台になっていたのです。「くやしい思いをしながら、そのとき教わったことは、いつまでも忘れない」と若手は異口同音に言うそうです。
個性豊かで逞しい人間をつくるのは、画一的な教育よりも、アドリブを積み重ねた個別指導のほうがよさそうです。

2005/10/25

「口は働き過ぎ」

子供の無邪気な質問は、時として我々大人を「ハッ!」とさせることがあります。
息子が、「お父さん、人間の顔は、目が二つ、耳も二つ、鼻の穴も二つあるのに、口だけは一つだね」と尋ねてきました。
天地創造の神がどういった意図でそのようにしたのか、知る由もありませんが、考えてみるとなかなか面白そうです。
目はモノを見るためにあり、耳は音を聞くためにあり、鼻は呼吸するためにあります。しかし、口は数が一つしかないのに、モノを食べる、飲む、喋る、タバコを吸う、そして愛情表現(口づけ)までもします。

よく「耳は二つ、口は一つなのだから、まず聞くことから始めよう」と言われますが我々は口を働かせ過ぎているようです。
また、たくさんの機能を持ってしまったばかりに、様々な弊害を生んでいることも確かです。
特に、「口は禍の元」「舌は禍の根」「口と財布はしめるが得」等々の言葉が示すとおり、我々は少々喋り過ぎているのかもしれません。
パントマイムを見れば、それが良くわかります。

2005/10/24

ある雑誌に、東ソーの会長が自社の歴史を振り返った話が、載っていました。
それには、「会社は、平穏なとき何年計画とか言って、時間軸を立てて目標を設定します。 しかし、経営危機を迎えたときに肝に銘じたことは、時間軸が命取りになることがあるということです。『3年計画でコスト15%削減』といった考えは役に立ちません。3年先にできることを今しなければならないのです。」とありました。
我が社にも、経営計画書があり、単年度、中長期とそれぞれ目標があります。
経営計画は確かに重要なものだと思いますが、もしかすると今年できることをわざわざ先送りして、計画を立てることに満足しているところがあるかもしれません。
ひょっとすると、3ヶ月でできることを1年計画にしてしまっているかもしれません。
今日できることを明日に延ばしているかもしれません。
身の引き締まる思いです。

2005/10/19

痛くない注射針を開発したことで有名な岡野工業(東京都墨田区)の岡野さんの言葉です。

実績ってなんだ?
誰もやったことのないような面白い仕事をするなら、主流より少しばかり浮いた人間と付き合った方がいい。浮いてるヤツほど斬新さがあるんだ。
主流を歩んでいる人間からは、今とは違ったものを生み出す新鮮な発想は期待できないね。
主流というのは、多くの人間が将来はこうだと信じていることだろう。大勢にくみせず違うことを考えているから、主流から外れ、浮いた人間になっているんだ。ということは、浮いた人間の方が、普通の人が考えつかないようなアイデアを持っていることになると思わないか。 
世の中には、主流だとか実績だとかにこだわる会社や人間が多いが、ところで実績って何なんだ。
そんなヤツには「あんたが女房と結婚したのは、女房に結婚の実績があったからか?違うだろう。実績のないもの同士が助け合い、切磋琢磨するから味のあるいい家庭ができるんじゃねえのか」と言ってやるよ。
実績にこだわってる限り、いい仕事なんてできはしないね。

(番外語録)
常識とは、過去から現在までの一番支配的な考えであり、未来のモノサシではない。
常識とは、破るものであって、外れるものではない。

2005/10/19

つもりちがいの10か条

本人がそのつもりになっていても、傍からは全く逆に見えることがよくあります。

次に揚げた「つもりちがいの10か条」は、皆さんもどこかで聞かれたことがあると思います。
 1条 高いつもりで低いのは教養
 2条 低いつもりで高いのは気位
 3条 深いつもりで浅いのは知識
 4条 浅いつもりで深いのは欲
 5条 厚いつもりで薄いのは人情
 6条 薄いつもりで厚いのが面の皮
 7条 強いつもりで弱いのは根性
 8条 弱いつもりで強いのが我
 9条 多いつもりで少ないのは感謝
10条 少ないつもりで多いのが無駄

ひと口に言って、「人間はうぬぼれが強いものだ」ということを示唆しているように思います。
「世界半分、うぬぼれしっかり」という故事があります。世情に半分しか通じていないくせに、うぬぼれだけは十分にあることをいいます。
内に秘めた自信は大切ですが、うむぼれが高じて傲慢になってしまっては困ります。
「傲慢は知恵の妨害物である」(バイロン)。

「つもりちがいの10か条」を謙虚に見直したいと感じた次第です。

「低いつもりで高いのは血圧」なんて自虐ネタで喜んでいるあなた。要注意ですゾ。

2005/10/17

やり直しのきく有難さ

収穫の秋です。何年か前、お米を作っている農家の方とお話しする機会がありました。 
60才を過ぎたそのおじさん曰く「おれたち百姓は、一生の内うまくて50回、下手すりゃ30回しか米を作れねえんだ」
そうです。最初の10年間は父親とか先輩のやり方を勉強して取り入れ、それを田んぼで活かすという段階。それが過ぎて、やっと自分の方法で本当にいいコメができたという年が少し多くなる期間が10〜20年ぐらい。 それからやがて自分の次の世代へコメづくりを教えていく時代が10年か15年あって、それでおしまいだというのです。
おじさんが、「おれたちは1年1年が真剣勝負だ。コメを工場みてぇによう、何千回も何万回もつくってみてぇもんだ」と言った時、ハッとしました。当たり前の話ですが、コメはどんなに頑張っても1年に1回しかとれません。もちろん二期作のできる地方もありますが、基本的には年に一回だけです。いくら機械化が進んでも、バイオの力を借りてもコメの収穫は年一回です。工場で作る品物は、何回でも実験ができて、技術革新もできるのですが、コメの場合は、大自然を早回しすることはできませんから、そのリズムに合わせるしか仕方がありません。コメの生産も改良も本当に1年また1年と時間をかけていくわけです。

ここで考えてみてください。工業は農業と違い、同じ設備や技術を導入すれば、どこでもほぼ同じ効果を生み出すことができます。「今年は日照り続きで、自動車の出来がいま一つだった」「今年の夏は冷夏で、いびつな掃除機ができてしまった」ということはありません。しかし、農業は気象、地形、土質等々の自然条件と必死に戦いながら、 それでも安定した作物を供給しなければなりません。 まさに1年1年が真剣勝負です。
我々商工業に従事するものは、日頃の仕事の中で、些細なミスを犯したり、同じ失敗を繰り返したりしています。そしてそれに慣れ過ぎているのかもしれません。
やり直しの利く有難さに甘えることなく、我々はいかなるときも真剣に、そして必死に製品作りやサービスの提供に取り組まなければなりません。
やり直しの利かない状況。
もし1年に一度しか製品を作れないとしたら、もし1年に一度しかサービスを提供できないとしたら・・・
考えてみる価値はあると思います。

2005/10/14

遠くなった身近な死

今朝の通勤途中、子猫が車に轢かれたのか、無残な姿で横たわっていました。
小生の中学・高校時代は、夏場の通学路でカエルやカメが車に押し潰された光景をよく目にしたものです。雨の日は特に数が多く、時々トカゲやヘビもまじっていました。 
現代の子どもの日常に、これら「小さな死」あるいは「身近な生と死」に触れる機会がどれほどあるでしょうか。命を大切にする心をはぐくむ土壌が、昔に比べて少なく、そして弱くなったようです。

人を殺傷する少年事件は、枚挙にいとまがありません。年間3万人を超える人が自ら命を絶つ中で、若者の自殺が急増しています。
ゲームが氾濫し、バーチャルの世界と現実の区別がつかない子供が増えたと言われますが、最近のささくれ立った事件の要因は、ゲームばかりが悪者でもないのかもしれません。
決して豊かではなくても、心を育ててくれた昔の環境が懐かしくなります。

2005/10/7

どっちが楽しい?どっちが面白い?

皆さんご存知の通り、今年のプロ野球は、阪神タイガースが2年振りにセ・リーグを制しました。
以前、ある雑誌のコラムで、「野球の試合をしている選手とそれを見ている観客、どちらが楽しんでいるのか?」
という記事が載っていました。選手と観客を同じ次元で比較すること自体おかしいと言われればそれまでです。
しかし、野球場という同じ場所で、同じ時間を共有するもの同士ですから、何か比較できそうな気がします。
わざわざ球場まで出向き、入場料を払って試合に没頭する観客の姿は、選手と同レベルの感覚を味わっているように見えます。両者の違いといえば、プレーをしているかいないかだけではないかと思えます。
観客の多くは、さも自分が監督になったかのように、選手の起用方法や戦術を自分で勝手に考えます。それが声援とか野次になるわけです。そして観客は結果に対してなんら責任を問われることはなく、言いたい放題です。
一方選手は、いくら自分の好きなことを職業にしているとはいえ、 一球一打の結果によって評価されるわけですから、楽しむどころではないかもしれません。
こう考えると、選手と観客のどちらが楽しんでいるかという問いに関しては、「観客」に分があるように見えます。
しかし、「どちらが面白いか?」という問いの場合、答えはどうなるでしょうか?
観客は、自分が試合をしているわけではありませんから、自力で勝利の感動や敗北の悔しさを選べません。
総て他力です。
反面、選手は自分がプレーした結果そのものを問われますから、その責任がすべて自分にあると同時に、やり直しも自分の努力で可能となります。
実際に何か「行為」をすることは、「見ている」ことより数倍緊張感があります。恐らく両者の決定的な違いは、挑戦・努力・達成・充実の有無だと思います。こうなると面白さの点では、観客よりも選手に軍配が上がります。
我々の日常の仕事を見つめてみてください。毎日行動を起こして何かに挑戦し、その結果挫折を味わうこともありますが、新たな挑戦を試み、努力の結果として達成感や充実感を得ることも度々あります。それはまた、自分の感動だけでなくお客様をはじめ、周囲の人たちが喜ぶことに繋がります。
人はえてして、自分の仕事がヒマになったり、面白くなくなったりしたとき、評論家や批評家になってしまうものです。それは、誰のせいでもありません。ヒマを作るのも面白さをなくすのも自分次第だからです。何事にも自ら参加し、行動することで面白さは自分で創造することができます。

ある音楽家の言葉があります。「偉大な作曲家たちは、意欲が湧いたから作曲に取り組んだわけではない。
必死に取り組んでいたから意欲が湧いたのだ」

2005/10/5

「変わる」をテーマに、二つほどお話を紹介します。

1.ある宗教家の話
ある宗教家が、自分の信じる宗教を広めることで、世界を変えようと考えました。
世界中を回り、必死に布教活動をしましたが、思いは叶いませんでした。
その宗教家は、世界がだめなら国を変えようと、今度は国中を歩き回りました。
しかしそれも叶わず、それならば自分の住んでいる町を変えようと活動しました。
それでも変えることが出来ず、家族を変えようと試みましたが、それも叶いませんでした。
挙句、病気になり、病床で自身を振り返ったとき、彼は気がついたのです。
「もし最初に自分が変わっていたとしたら、家族が変わり、町が変わり、国が変わり、世界を変えることができたかもしれない」と。

2.ヤンキース・松井選手の至宝の言葉
松井選手が、高校時代に出会い、「僕の人生を変えた」とまでいう言葉です。
心が変われば、行動が変わる
行動が変われば、習慣が変わる
習慣が変われば、人格が変わる
人格が変われば、運命が変わる
高校三年の夏、甲子園で五打席連続敬遠されながら、平然と一塁へ歩いた松井選手の姿、そして大リーグに行き、たとえ結果が出ないときでも笑顔でインタビューに答える彼の姿、ケガにも負けることなく連続試合出場を続ける逞しい彼の姿は、
「心が変われば、運命が変わる」ことを示してくれています。

2005/10/4

さあ皆さん、仕事でお疲れのところ、一服タイムです。
頭の体操で、固まった脳をほんの少し柔らかくして、気分をリフレッシュ
させてから次の仕事に取り掛かりましょう。

(問題)
 二人の作業員が煙突の掃除を終えて、煙突から出てきました。
 一人はススで顔を真っ黒にしていましたが、もう一人はまったく ススで汚れていませんでした。
 さて、顔を洗うのはどっち?

答は下の方へ書いていますので、少し考えてみてください。(反転してみてください)


(答え)
顔の汚れた作業員は、顔のきれいな作業員の顔を見て、自分の顔も汚れていないと思います。
しかし、顔のきれいな作業員は、顔の汚れている作業員の顔を見て、自分も汚れているのだと思い、顔を洗います。

ついつい判断のモノサシを他人や周りの雰囲気で決めてしまうことってありませんか?
「自分で自分をしっかりと見つめなさい」というクイズでした。

2005/10/3

最強の兵器

とある国で軍事パレードが行なわれている。戦車、迎撃ミサイル、長距離ミサイルと、国の誇る最新鋭兵器が続き、その後に二人の男が行進している。軍の制服ではなくスーツ姿だ。これを見て招待された隣国の国防大臣が尋ねた。
「あの二人は誰か。なぜ、スーツ姿で軍事パレードに参加しているのか?」
尋ねられた国防大臣が答える。
「あれは、わが国の財務大臣と経済大臣だ。あの二人はほんの数ヶ月で国の経済をズタズタにしてしまった。
あまりにもその破壊力が強烈なので、パレードに参加してもらった」
これは、あまり笑えないジョークですよね。

「愚かな味方ほど危険なものはない。賢明な適の方がまし」とか「一番恐ろしい敵は、軽率な振る舞いをする自社の社員である」ということは、よく耳にします。また、悪い情報や適切な提案を握りつぶしてしまう人間もこの「愚かな味方」に入るでしょう。
しかし、愚かな味方を作ってしまうのは誰でしょうか?
小生が子供の頃、母親から言われた言葉があります。
それは、「何か悪いこと、いやなことがあったら、まず自分に非がないか考えなさい。自分が正しい、相手が間違っていると最初から思えば、人を信用できなくなる。 自分に悪い所はなかったのかと考えることから始めれば、人を信用できる」というものです。
良い言葉なのですが、なかなか実行できなくて・・・。

2005/9/29

イタリアに関する考察

「スイスの民間研究機関『世界経済フォーラム』は28日、05年版の世界競争力報告書を発表した。
01年から3年連続の上昇で昨年9位に復活した日本は、今年はオーストラリアやオランダに抜かれて12位に後退し、再びベスト10から陥落した。」との記事がありました。
以前、ヨーロッパを旅してきた友人が、イタリアに関する彼なりの考察を話してくれたことがあります。
彼曰く、過去何度か訪れたイタリアという国は、そのライフスタイルが鮮やか且つしたたかで、「人生の達人ではないか」と思わされるそうです。 と言うのも、イタリア人に「人生の価値は何か?」と問い掛けると、多くの人が「1にサッカー、2に会話、3に食事、そして恋愛、母親(家族)だ」 と答えるようです。
彼が冗談めかして「日本では仕事が一番という人がたくさんいる」と言ったところ、「イタリア人にもそういう人間はいる。しかし、それは病院へ行くか発作を起こす寸前のヤツだ」と笑われたとのこと。
かといって、イタリアの人達がいつもサッカーに熱狂し、女性の後を追っかけ回し、お喋りばかりしているのかと言えば、決してそうではなく、2000年の労働生産性の国際比較では、勤勉の代名詞のように見られている日本が先進12カ国の内11位で、イタリアは何と2位なのです。
要するに、日本人はダラダラと長く働くが、イタリア人は仕事を効率良くこなし、夜ともなれば、それなりの着こなしをしてパーティーとか音楽会に出掛け、食事や会話を楽しむ術を心得ているということでしょう。
耳の痛い話ではありますが、なぜか納得してしまうところがあります。人生を楽しむ術も今のような状況下では、そのようなことを言っていられないという人が大半かもしれません。しかし「何のための人生か?」「何のために働いているのか?」を我々はもっと考えるべきかもしれません。それが効率化の一番の特効薬になるのでは・・・と思ったりします。

2005/9/28

先般、西大寺YEGの10周年記念式典があり、記念講演で女医さんのお話を聞きました。
その中で「鬱になりやすい人とそうでない人」の簡単な判別方法が紹介されましたので、次に
記します。

次の10の質問に答えてください。
 1.声が大きい
 2.早口である
 3.短期である
 4.歩くのが速い
 5.食べるのが速い
 6.仕事に労力を惜しまない
 7.ライバルには絶対負けたくない
 8.多くの仕事を同時に抱えやすい
 9.興味のない話は聞かない
10.いつも仕事(時間)に追われている

以上の質問に対して、6つ以上当てはまる方は、鬱になる可能性があるとのことです。 

10コ全部当てはまるから、必ず鬱になるというものではありません。
大小あるいは長短の差はあっても、誰でも鬱を抱えているものだと思います。
そうでなければ、いつもノー天気になってしまい、自分も会社もすぐ潰れてしまいます。 

ノー天気とプラス思考は、似て非なるものです。
私は、自分自身の貸借対照表の資産の部(特技、長所、個性)をどれだけ増やしていくかで、
鬱を回避できると思っています。
皆さん、どんどん資産を増やしましょう!!
青年部は、その資産を増やせる格好の舞台です。

2005/9/20

任期中は無理

アメリカの大統領がお祈りをしている。
「神様、どうかイスラエルとパレスチナの問題を平和裏に解決してください」
神が答える。
「よろしい。お前の願いを聞き届けてやろう。しかし、お前の任期中には無理かもしれない」
韓国の大統領がお祈りをしている。
「神様、どうかわが半島の南北問題を解決してください」
神が答える。
「よろしい。お前の願いを聞き届けてやろう。しかし、お前の任期中には無理かもしれない」
日本の首相がお祈りをしている。
「神様、どうかわが国の財政赤字を黒字に変えてください」
神が答える。
「よろしい。お前の願いを聞き届けてやろう。しかし、私の任期中には無理かもしれない」
神に見放されたわが国日本。これは海外で生まれたジョークですが、流行ってほしくないですね。

やるべきことをやって、最後に「神様お願いします」と心の底から叫ぶほど、追い込まれたことがどれだけの人にあるのでしょうか?
かつてオリンピックの背泳で金メダルを獲得した鈴木大地選手は「人事を尽くして天命を待っていては勝てません。人事を尽くしてなお、天命を掴まなければならないのです」とコメントしていました。

鴨井尚志

2005/9/20

悩んではならない日が2つある。

怖れや不安のないようにすべき2つの日。
ひとつは「昨日」という日。
昨日の間違いや心配事、過ちや失敗など、後悔や苦痛は昨日とともにある。しかし永遠に過ぎ去った昨日はどうにもならない。世界中の富をもってしても昨日は取り戻せない。たったひとつの行いすら取り消すことはできない。たったひとつの言葉すら消し去ることはできない。昨日には永遠に帰れないのだから。
悩んではならないもうひとつの日は「明日」。 災難の可能性、どうなるかわからない今日の過ち、大きな約束、乏しい成績とともにある明日。しかし明日もまた、いますぐどうすることもできない。明日の陽は昇る、光り輝き、あるいは雲に覆われて、それでも明日の陽は必ず昇る。しかし、明日がくるまで今日とは無関係、まだ始まっていないのだから。
残る日はひとつ、「今日」という日。誰でも1日だけなら闘うことができる。今日、動けなくなるのは、手に負えない昨日や、明日起こるという不安という重荷が加わるとき。人を迷わせるのは、今日の経験ではない。昨日起きたことに対する自責や苦しみと、明日がもたらすかもしれない不安なのだ。
だから、1度に1日ずつ生きようではないか!
上の言葉は、誰が言ったか知りませんが、小生のような煩悩のかたまりは「わかっちゃいるけど・・・」
と思ってしまいます。
小生のどうしても悩んでしまう日、それは月末の締め日と年次決算の日と手形が落ちる日と・・・。
皆さん、煩悩の数がなぜ108かご存知ですか?
それは、あれこれ悩んで四苦八苦するので、四苦(四・九=36)八苦(八・九=72)合わせて108だ
からだそうです。

鴨井尚志

2005/9/14

ちょっと気になる世界柔道選手権

世界柔道選手権が閉幕しました。日本選手の活躍は皆さん既にご存知のとおりですが、多くの選手が試合後のインタビューに対して話す言葉の中に「あれっ?」と思うことがありました。これは勝った選手からも、敗れた選手からも聞かれたことですが、「今まで勝つためにすべてをかけて頑張ってきた」という言葉です。オリンピックのときも聞きました。
2年あるいは4年に一度の大会ですから、各選手のメダルに対する執着心は相当なものだと容易に推察します。
記録への挑戦、ライバルとの駆け引き、自分との戦いは、あらゆる競技の醍醐味であり、我々に多くの感動を与えてくれます。勝者であれ、敗者であれ、全力を尽くした選手たちが流す喜びと悔しさの涙は見るものの心を震わせ、人であることの素晴らしさを教えてくれます。
さて、去年のアテネ・オリンピックで、女子柔道78キロ級の金メダルを獲得した阿武選手を皆さん覚えていますか?彼女は世界選手権4連覇、全日本柔道選手権12連覇、福岡国際女子柔道でも8度優勝しています。しかし、五輪のメダルだけは縁がありませんでした。アトランタとシドニー五輪は初戦敗退です。
「日本柔道の七不思議」とまで言われていた彼女が、アテネでやっとその殻を突き破りました。
4年に一度の大会というだけで自分を追い込み過ぎていた彼女は、徹底的に自分の柔道を分析しました。
そのときの彼女の目標は、金メダル獲得ではなく、「自分の柔道」を完成させることになっていたそうです。
スポーツ、特に柔道は勝つことがすべてではなく、己の心・技・体を磨くためという本来の姿があると思います。「柔道の本家の面目を保つ」とは試合に勝つことだけでしょうか。メダルの数で決まるものでしょうか。
柔道が競技スポーツになったとき、柔道本来の目的と魅力がなくなってしまった気がします。
幸いにも勝ってメダルを手にした選手が「今日は勝ててよかったです。これで明日からまた自分の目指すやわらの道に精進できます」と言ってくれたとしたら、これほどさわやかな勝利はないでしょう。
「いかにして勝つか」「どうやって相手を倒すか」といった技術や手段に埋没してしまう前に、「何をしたいのか」「何故やるのか」といった根源的な情熱の大切さを忘れないようにしたいものです。
人は何故、橋を架けるのか?対岸に何かあるからです。丈夫で美しい橋を架けること、上手に橋を架けることも確かに大切かもしれませんが、橋が架かった時に当初の目的を見失ってしまい、完成した橋を見て満足していてはいけないことに我々も気づかなければなりません。

鴨井尚志

2005/9/12

先日、林原生物研究所の方の「恐竜」のお話を聞きました。億年単位の歴史の話です。 

また、このところ各YEGでも周年行事が行なわれています。我々も来年は10周年の記念式を開催します。それぞれの歴史について見聞するそんな折、13年前、カナダで開かれた国際環境会議の中で、インド代表が講演した話の一部を見つけました。
今、私たちの森にあなた方の国から沢山の人が来て 沢山の木を伐り、沢山のダムを作ろうとしている。
はっきり云う。よくきいて欲しい。私たちは決して貧しくない。私たちは豊かだ。私たちは何も欲しくない。ダムも、電気も、お金も。
あなた方は経済という宗教にとりつかれてしまった。
あなた方の神様はお金。儀式は開発。いけにえは地球。あなた方の神様からの贈り物は飢えと公害と戦争。
私たちは開発を望んでいない。 開発は自然を殺すこと。 一時の富をもたらすが永遠の生活と、幸せを失う。
私たちは幸せを求めている。それには少しの土地と少しの水、そして少しの食べ物で充分だ。
幸せはお城から来るのではなく、自然の中に、既にある。
悩みは欲の中にあり、幸せとは欲を捨てること。
あなた方はどうしてそんなにあたり前のことを忘れてしまったのか。
あなた方はこれから何処へ行くのか。
文中の「あなた方」は、当然のことながら先進国を指します。
便利さと富を追求し、得たものは確かに大きいのですが、同時になくしたものも沢山あるように思います。
我々は、その「なくしたもの」に気付いていないのか、それとも知ろうとしないのか。 
「あなた方はこれから何処へ行くのか」という一節は非常に重い問いかけです。
禅問答のような問いかけですが、我々の会社も仕事も人生も青年部の活動も、何処から来て、これから何処へ行くのかを考えなければ、今の自分(会社・仕事・人生・青年部)を見失うかもしれません。

鴨井尚志

2005/9/7

「ごみ一つない国にしたいと思って掃除をします。それが小さいことなのでしょうか」。 
カー用品店「イエローハット」の創業者、鍵山秀三郎さんが、中国での講演で答えた言葉です。大学生から「掃除のように、誰にも顧みられない小さなことにこだわって、大きなことができるのか」と尋ねられたからです。
鍵山さんは、自動車1台の行商から年商1000億円の企業を作り上げました。しかし、そんな事業の成功物語より「環境をきれいにすれば、人のすさんだ心を穏やかにできる」と信じて、自ら会社のトイレや会社の周りの掃除を長年続けたことで知られています。
鍵山さんは「私は、言葉や文章で説得する能力を持っていないので、掃除を始めました」と淡々と語られます。
宗教とは無関係。社員にも強制したことはありませんが、賛同する人が全国に広がりました。相談役に退いた現在は、求められて掃除の実践と講演に奔走しています。
国のあり方、企業のあり方について語る経営者は多くいますが、身近な無償の行為を続けて「道」にしている人は少ないと思います。

鴨井尚志 

2005/9/5

スコットランドのジョークをひとつ・・・

マイケルはスコットランドのゴルフ場でプレーをしていた。
あるホールで林の奥深くにボールを打ち込み、ボールを探しに行くと急に霧が立ち込め、その中から妖精が現れた。
妖精が言った。「あなたの望みを3つかなえてあげます。ただし、あなたの奥さんは、自動的にあなたの望みの10倍のものを手にすることになります。
それが条件です。さあ、最初の望みは?」
マイケルが答えた。「ゴルフでシングルプレーヤーになりたい」
妖精が言った。「あなたの奥さんは、あなたの10倍も上手になりますよ」
「結構です。気にしません」
妖精に促され、マイケルは二つ目の「望み」を口にした。
「億万長者になりたい」
「あなたの奥さんは十億万長者になりますよ」と妖精が注意を促した。
「結構です。気にしません」
「三つ目の望みは何?」と妖精に訊かれて、マイケルは最後の願いを言った。
「軽い心筋梗塞になりたい」
するとマイケルの妻は・・・

先日メールで紹介しました凄まじいまでの夫婦愛を目の当たりにした後、このようなジョークを見た瞬間は嫌悪感すら覚えましたが、少し冷静に考えると、逆にしっかりとした愛情があればこそ、この手のジョークも出るのかな?とも思ったりして・・・

皆さんはいかがですか?

鴨井尚志

2005/9/1

過日、知人の奥さんがガンで亡くなられました。2年間の闘病生活だったそうです。
奥さんは自分の病気がガンであることを知ってから亡くなられる3ヶ月前まで入院することを拒み、家のことや家族のことに奔走したとのこと。
毎日綴る日記の文字が、段々弱々しくなっていくことで、本人は病気の進行具合と余命を悟っていたようです。
亡くなる間際に、ご主人の手を握って「今、私にできることはこれだけだから」と微笑んだのが、夫婦の最後の時間となりました。
ご主人は「できることなら、今まで自分がムダに過ごした時間を家内にあげたかった」 
と涙ながらに語っておられました。
死を目前にして「今、自分にできることを」と、ご主人の手を握った奥さん。
奥さんが痛切に生きたいと思う時間を、自分はなんとムダに過ごしていたのかと自責の念に駆られるご主人。
単なる「夫婦愛」という言葉以上の絆が二人にあったように思います。
「亡くなられた方の幸せの度合いは、残された者の生き方で決まる」と言われます。
ご主人は奥さんからのメッセージを最後で最高の贈り物として、しっかりと受け止めておられるようです。

鴨井尚志

2005/8/29

先週末、例会が行なわれましたが、その席で「高校野球界の不祥事」について何人かと話をしました。
賢明な皆さんのこと、なぜ高校野球に関わる人達だけが不祥事発覚の際、ニュースに取り上げられるのか不思議に思われているでしょう。
高校生の全国大会は、他にもサッカーやラグビー、バレーボールなどいくらでもあるのに、不祥事が取り沙汰されるのは、いつも野球ばかりのように思います。
注目度が高いから? 歴史や伝統があるから?
ここに大きな落とし穴があるのかもしれません。
「全国の人が注目している」ことが大義名分になって、みんなで騒いでしまうその陰で、青少年の人生が左右され、弄ばれています。
ニュースや記事を見る限り、学校はどのような対応をするのか、高野連はどのような処分を下すのかばかり報道され、肝心の事件の予防措置や是正処置は置き去りです。
甲子園へ出場をさせるか辞退させるか、優勝を取りやめるか認めるかのアンケートや議論より、もっと大切なものがあるはずです。
注目度が優先され、これからの青少年が大人たちのおもちゃ(犠牲)にされている気がしてなりません。
青少年たちは、どのような思いでニュースを見ているのでしょうか?

鴨井尚志 

2005/8/22

愚か者への教訓 「知」

「知」に恵まれないと嘆く者よ、知恵がなく、学んでも成績が上がらぬと嘆く者よ、己の頭の悪さを嘆き、親を恨む日々であるか。しかしながら、お前の嘆きは、「私は根気と辛抱強さを持たず、何事も長く続けることのできない、怠け者です」としか私の耳には聞こえない。
お前の頭の中に、「根気」「忍耐」と言う文字はあるか。私の知る限り、根気と忍耐を養わずして、真の実力者となりし者を私は知らない。
お前に、根気よくあきらめることなく学ぼうとする姿勢はあるか。できるまで、理解するまで、何度でも学び返そうとする根性はあるか。怠惰な欲求を断ち切り、学びに集中しようとする克己心はあるか。
ないであろう。
学びし者よ、よく聞け。他人との頭の良し悪しの差など、微々たるもの、真の知力、学力は、根気と忍耐の成す技である。できぬならできるまで繰り返すのみ、理解できぬなら理解するまで繰り返すのみ。
覚えられるまで繰り返す、要は、その根気と忍耐がお前にあるか否かである。
己の頭の悪さを遺伝や親のせいにして、努力を放棄しようとは言語道断。学びは、学力を超えた、人としての力を築く。その大いなる力を、知力、学力とともに身に刻むのだ。
「知」の結果はすぐに現れるものではない。忘れた頃に大いなる利子を伴って、お前の前に姿をあらわす。学びし者よ、あきらめるな。まさに根気と忍耐、「知」の道に近道はない。

「知」なき愚か者に捧ぐ。
さて、ウィスラー氏は、要は「頭の良し悪しではなく、根気と忍耐の有無がポイントだ」と説いています。
勉強ができないうちの子供は馬鹿なのではないか?と思っている親御さんは、この言葉を聞いて少し安心するかもしれません。しかし、この根気と忍耐力こそくせ者です。
根気と忍耐力を持てと言われても、どのようにすれば身に付くのでしょうか?その答えは、簡単に出せません。ただ、明確な目標・目的を持つことが、最初の一歩であることは確かだと思います。目標に向かって突き進み、自分で限界を決めないことで、根気と忍耐力が養われ、やがてそれが知力、学力を超えた真の実力者の基礎を作るのだとウィスラー氏が言っているように思えます。 

余談ですが、進学塾の建物の前に生徒を送り迎えする親の車が並んでいる光景をよく目にします。
歩道に車を停めて歩行を妨害する人。2車線道路の1車線を平気でふさいでいる人。そのために交通渋滞が起きてもお構いなしです。親は子供の成績を上げることよりももっと大切なことを教える義務があります。塾も勉強だけ教える場所でいいはずはありません。この先どうなるのか不安です。

鴨井尚志

2005/8/22

直線で30m。この往復が彼の「甲子園」だった。彼の背番号は14番。ピンチを迎えると、ベンチからマウンドに全力で駆け寄り、バッテリーや内野手を励ます伝令役に徹した。 
敗戦するまでの3試合で何度マウンドへ行ったか本人は覚えていない。スコアブックにその動きが記されることもない。しかし、チームはそんな彼に支えられて勝ち進んだ。 
記録には残らなくても、彼は甲子園に確かな足跡を残した。
試合後の通路、すすり泣く声が方々で聞こえる中、彼は一番奥にいた。「みんな最後までよく粘りました」「気迫は負けていなかった。みんな一生懸命でいいチームでした」滴り落ちる汗をぬぐおうともせず、淡々と話した。
彼は外野手だが、試合の出場経験はほとんどない。しかし、練習では始まりから後片付けまで大きな声を出して率先する。そんな姿を見てか、新チームになって野球部全員が彼を主将に推薦した。
チームメイトは「あいつが伝令で走ってくる姿を見るだけで、雰囲気が変わるんです」と言う。他の選手も「一回から九回まで、ベンチから絶えず声を出している。あいつが試合中座っているのを見たことがないし、あいつの声を聞くと、勇気づけられる」と話す。
冷静にチームのことを話したあと、自分が試合に出られなかったことについて聞かれた時、こらえていたものが両方の目から一気にあふれてきた。口を横に結び、言葉が出てこない。「マウンドまでの距離はどうだった?」と聞かれ、やっと「短かったです」と答えた。
自分の役割を全うするため「みんなのようにグラウンドを駆け回りたかった。」という言葉をぐっと飲み込み、主将は最後まで個人的な思いを口に出さなかった。
これはある甲子園球児のインタビュー記事です。
表舞台で脚光を浴びる選手、ベンチで裏方の作業をする選手、ベンチに入れずスタンドから声援を送る選手、いずれも重要な役割を担っています。これは人間がどこでどのように輝くのかを教えてくれます。
また、今までの苦難や挫折があるからこそ、今の魅力があることに気付かせてくれます。 

高校球児からは、多くのことを教えられます。

鴨井尚志 

2005/8/16

今年もテレビで取り上げられていましたが、今から20年前の昭和60年8月12日、日本航空123便が群馬県の山中に墜落しました。
その墜落の間際に、ビジネス戦士の生き方を貫いて「遺書」を書き、妻子に残した人がいました。大阪商船三井船舶神戸支店長・河口博次さんです。以下に、その「遺書」を記します。
「マリコ 津慶 知代子 どうか仲良くがんばってママを助けてください。
パパは本当に残念だきっと助かるまい。原因はわからない。今5分たった。もう飛行機には乗りたくない。
どうか神様助けてください。津慶。しっかりたのんだぞ。ママ。こんなことになるとは残念だ。
さようなら。本当に今まで幸せな人生だったと感謝している」

飛行機が回りながら急降下している座席の上で、どんな思いでこの「遺書」を書いたのでしょうか。河口さんの胸の中を察する時、熱いものが込み上げてきます。
どんなに多忙であっても、妻への感謝、子供への愛情を燃やし続けたビジネス戦士の、戦場で書いた素晴らしい「魂の叫び」です。男の生き方、いや人間の生き方は「かくありたい」と思います。
仕事を愛し、家族を愛し、人間を愛し、自然を愛し、この生ある瞬間を1分1秒たりとも無駄にせず、生きたいものです。
人間は、自分自身を主人公として、常にその人生の一部である「仕事」や「家庭」に燃焼し続けることが大事であると考えます。
仕事以外に自分の本当の人生があるという声をたまに聞きますが、人生の時間をどのように使おうと、人生に手段はありません。総て、人生そのものです。
縁あって生を授かった人生なのですから、他人の目を気にせず、自分が人生の主人公であるという自覚をもって、努力していきたいものです。

鴨井尚志

2005/8/8

夏の高校野球が開幕し、連日熱戦が繰り広げられています。

高校野球を見ていると思い出すことがありまして、今日はそれをご紹介します。
何年も前のことですが、元倉敷工業高校野球部監督の小沢さんとお話しする機会に恵まれました。
小沢さんと言えば、倉工野球部を幾度も甲子園に出場させ、また数多くの有名選手を育て上げた、高校野球界の名監督・名将の代名詞とまで言われた方です。
その小沢さんから高校野球の懐かしい思い出や選手の指導の難しさを聞かせていただいておりましたところ、非常に興味深いお話がありました。
小沢さんが高校野球の監督現役時代に、かの有名な将棋の故大山永世名人とお話をされた時、大山名人が「小沢さん、私はあなたのことが羨ましくてたまりません」と言われたとのこと。小沢さんは同じ勝負師という立場にいるとはいえ、天下の大山名人から羨ましがられるなど、露とも思っておられませんでしたので、「どういうことでしょうか?」と尋ねられたそうです。 すると、大山名人のお答えは次のようなものでした。
「私は将棋という勝負の世界で駒を使いますが、その駒は生きておりません。確かに歩が金になったり、飛車が龍になったりしますが、駒そのものが自分で判断して動くことはありませんし、駒が私に戦術のヒントをくれるわけでもありません。ましてや、『おはよう、今日も頑張っていこう』と声をかけてくれるはずもありません。その点、小沢さんは選手という『生きた駒』を持っておられる。あるときには歩が銀になったり、飛車に化けたり、場合によっては王将になる可能性もあるわけですからその楽しみは私の使う駒とは比較になりません。ですから私は心底小沢さんが羨ましいのです」。
大山名人からそのことを言われて、まさに目からうろこが落ちた思いの小沢さんは、ご自身の指導に一層の責任を感じると同時に、選手たちの成長が以前にも増して楽しみになられたそうです。そして、挨拶をしてくれる選手やコーチがいることの幸せを改めて感じたと仰っていました。

野球に限らず、仕事や人間関係を通じて人間が大きく成長する様は、とても素晴らしく感動的です。
我々も青年部の活動の中で、お互いに励ましあい、指摘しあい、支えあい、それぞれの個性を生かしながら成長し続けているものと信じています。
楽しいから得られるもの、苦しいから得られるもの。どちらも貴重な経験ですが、体験しないと得られませんよね。逃げないから得られるものって必ずあると思います。
青年部の一番大きな「売り」は、「人間つくり」かもしれません。

鴨井尚志

2005/8/5

国立国語研究所というのをご存知でしょうか?
日本語と人々の言語生活について調査研究をしている機関で、なじみの薄い外来語を日本語に言い換える「言い換え語」も研究発表しているところだそうです。
今、日本には「外来語」が氾濫しています。日々の生活の中に溶け込んでいるものもあれば、仕事上特殊な場合に専門用語として使うものもあります。
日本人の何割の人が英語をはじめ外国語に精通しているのか知りませんが、上述の機関が存在するくらいですから、「外来語」や「和製英語」に悩まされている人は恐らくたくさんいるのでしょう。
小生もその一人です。
外国語を嫌っているわけではありません。でも日本語で表現できるものまでわざわざ外国語にしてしまう風潮に少々疑問を感じます。
「あんた、本当に意味をわかって使ってんのか?」と言いたくなる場面ってありますよね。

今から30年近く前、初めて外国(アメリカ)へ行った時、異文化に触れることで様々な刺激を受けましたが、同時に「自分は日本人だ」と思い知らされました。
そのくせ、自分が日本のことをあまりに知らないということも痛感しました。
日本に帰る飛行機の中で、日本をもっと知りたい、日本語を大切にしたいと思ったのを記憶しています。

自分の根っこがどこなのか、自分は何者なのかを知った上で外国に行くも良し、外来語を使うも良しと思うのですが、皆さんはいかがですか? と呼び掛けておきながら、こうして書いている文章中に外来語を使わないよう、妙に気を遣う自
分がここにいます。
もしかしたら、社員との会話で外来語を使ったり、日本語であっても自分だけが理解した言葉を発したりして、誤解を招いているかもしれません。
気をつけなくちゃ!

鴨井尚志 

2005/8/2

先日、弊社のある部署に人員を補充するため、募集をかけました。
年齢40歳位までの人という年齢制限を設けての募集です。
そこへ、年齢62歳の方が応募してこられました。
最初、総務部の者が「年齢が高いから」との理由により、書類選考の段階でふるいにかけておりましたが、他の社員が「40歳まで」というこちらの条件を知りつつ応募してくるには何か理由があると感じたようで、小生のところへその人の履歴書を持ってきました。
早速、履歴を見てみましたところ、高学歴・豊富な経験・高度なスキル・実践的な資格を持った人で、これだけの人物は弊社におりません。
しかも、年金の関係上高い給料はいらないとのこと。

現在、世の中は60歳定年が主流ですが、上述したような素晴らしいキャリアを持ち、なお体力も気力も衰えていないこの手の人は日本中に溢れています。
既にご存知の通り、こういった人達が中国や韓国へ流出し、もうひと花咲かせようと頑張っているのが現状です。
新聞やニュースの中だけの出来事ではなく、我々の身近にも優れた人材がいることを改めて実感した次第です。

若手を採用し、育てることも大切なことですが、ベテランを上手に活用することも企業にとって見落とせない採用術だと思います。
「適材適所」という言葉があります。これに「適時」を加えてみませんか。
「適時」とは、その人の年齢でもあり、企業にとってのタイミングでもあります。

カモ井加工紙株式会社
鴨井尚志 

2005/7/22

弊社の製造管理者が開発部門との連絡を早く取りたいので、直通電話を増設して欲しいと稟議書をあげてきました。
一見、なるほどと思われる稟議ですが、ここに落とし穴が隠れています。
製造と開発は切っても切れない密接な関係があり、情報の交換は絶対に欠かせません。 
しかし、重要で緊急な連絡であればあるほど、当人同士の対峙した話し合いが必要です。 
双方が遠く離れているのであればいざしらず、同じ会社同じ敷地内での連絡は、お互いの顔を見て話すのが一番誤解を生じません。まさに「生の声」です。
コミュニケーションの基本は、まず話を聞くことにあり、その前提は「一緒にいること」だと考えます。相手の話を五感で受け止め、共感することが肝要です。
メールについては、もっと怖さを感じることがあります。
連絡や報告に行き違いが生じたとき、「メールを送ったのに・・・」「見ていなかったので・・・」
というやり取りを経験したり聞いたりしたことが皆さんもあると思います。
メールを送る人は、「送ったのだから、読んでいるはず」と勝手に思い込んでしまうことがよくあります。
たとえ相手がメールを読んだとしても、電話であれば、まだ声の表情で察知できるものがありますが、メールの場合画面だけですので、五感を活用しようがありません。
メールを送る側の責任、メールを受ける側の責任をお互いに持ち合わせていないと、危険な道具になってしまいます。
メールを受けた人は、せめて「了解しました」とか「報告有難うございます」とかのメッセージを返信することがマナーではないでしょうか。

便利な道具に頼りがちな昨今、その利便性に甘えてしまい、つい陥ってしまう落とし穴に注意したいものです。

鴨井尚志 

2005/7/21

さあ皆さん、仕事でお疲れのところ、一服タイムです。
頭の体操で、固まった脳をほんの少し柔らかくして、気分をリフレッシュさせてから次の仕事に取り掛かりましょう。

(問題)
大岡越前の名裁きは数多くあるようですが、その内の一つです。

江戸の大工、吉五郎がある日、大枚三両のお金を落としてしまった。
この三両を拾ったのが、左官職人の金太郎。
金太郎は、正直に拾った三両を奉行所に届けました。
しかし、奉行所に呼ばれた吉五郎は、三両を受け取りません。
「拾い主の金だ」と言い張るのです。
金太郎も「拾ったものは持ち主のところへ返るのが筋だ」と譲りません。
強情っ張りの二人の譲り合いの仲裁に入ったのが、大岡越前守。

ここで大岡越前がとった行動とは何だったでしょうか?

答は下の方へ(色が白)書いていますので、少し考えてみてください。(反転してみてください)

(答)
大岡越前は、自分の懐から一両取り出して、三両に加えました。
そして、吉五郎と金太郎に二両ずつ渡します。
吉五郎と金太郎は三両もらえるところが二両になり、大岡越前も一両を
出して、それぞれ一両の損、というわけです。

これが三方一両損のエピソードです。
物事を判断するとき、何を求められているのか優先順位を決めておけば
答は意外と早く見つかるかもしれません。
一度にあらゆる条件を解決しようとすると、混乱することってありますよね。
それに、自分で答の枠を狭めてしまっても、同様です。


ただ、小生に一両を出す度量があるかどうか・・・

鴨井尚志 

2005/7/20

見えないものが見えてくる
以前、ある人から問い掛けられました。「松の木ってどんなだったっけ?描ける?」松の木といえば、小さいときからよく目にしていますし、たくさんの木々の中から「これが松だ」くらいの識別はできます。
しかし、改めて「松の木を描けるか?」と問われると、ハタと困ってしまいました。何となくイメージはあるのですが、いざ描こうとするとどうも絵にならないのです。
私はもともと絵心を母親のお腹に忘れてきたような人間ですから、絵がうまくないことは自分でも承知していましたが、それを差し引いても私は内心慌てました。目で知っているだけで、頭の中には松の木の姿を記憶していないのです。50年近く生きてきて、「自分はそんなこと知っている」と思っていたことが実はこの程度だったのかとショックを受けると同時に、これまで随分と知ったかぶりをしてきた自分に恥ずかしさを感じてしまいました。
それならば桜の花をと思い、試してみましたが、やはりダメでした。どのように木についているのかそれさえわからないのです。モヤモヤと大体の輪郭が記憶にあるだけで、肝心なところはさっぱり思い出せません。
花見に行っても花を見ず、酒を飲み、ドンチャン騒ぎをして酔っ払ったことしか覚えておらず、「花より団子」の言葉をかえって身につまされるようで、反省させられました。
それならば、造園業を営んでいる専門家はどうだろうかと思い、会員の大山氏に試してみたところ、ものの見事に紙の上に松の木が現れました。
専門家の見方は、凡人のそれとは違います。同じものを見ても、目的のあるかないかで大きな差があるのです。「見学の見」で見るのと「観察の観」で見る差です。
俗に「他人の商売と他人の女房はよく見える」といいます。この場合は、もちろん観察ではなく見学です。
いや、見学どころか見物かも知れません。もともと商売というものは、人知れぬ苦労に耐えながら懸命にやり通すもので、その表に出ない影の部分を見逃して表面だけを羨むことは、要するに何も見ていないのと同じです。
花や木を見たら外見の色や形はもちろん、目に見えない地中の根の張り具合にまで、さらに養分の状態にまで思いが届く。観察とはそういうものではないかと思います。「努力して探る」目を持ってのみ、観察の道が開けてくるのです。
観察の目は、苦労する、失敗と反省を重ねる、そして本当に自分の全知全能を傾けたものに対して開眼するものなのでしょう。人から教わった方法論だけで観察しようなどと考えても、見なければならないものを見ることは出来ません。所詮結果は知れています。
何かを見るとき、または何かに取り組むとき、自分は「見物人」にすぎないのか、「見学者」になってしまっていないか、しっかりと「観察者」になっているかを自身に問い掛けてみてください。そうすれば、今まで見えなかったものが必ず見えてきます。

カモ井加工紙株式会社
鴨井尚志

2005/7/13

昨夜から今朝にかけて、テレビで「間違った言葉の使い方」について報道されているのを立て続けに見かけましたので、ついでと言うわけではありませんが、小生が聞いたことのある間違い言葉をご紹介いたします。

「生きざま」という言葉は、その人の生き方を評価したり、賛美したりするときに使われるポジティブなものだと小生は思い込んでいたのですが、実はとんでもない誤用だそうです。
ケンカをしたような場合、相手を侮蔑する意味で「ザマを見ろ」ということがあります。 

「ザマ(様)」という言葉は、相手の様子や有様をバカにしたり、あざけったりするときに使うものなんだとか。
昔は、人が惨めな死に方をすると、子供や部下を戒めるために「あの死にざまを良く見ておけ」と言っていたようで、立派な死に方をした人に対しては使われていなかった由。 

ところが、「死にざま」という言葉から、いつの間にか「生きざま」という言葉が生まれてしまったのですが、最初はこの「生きざま」と言う言葉も「つまらない生きざまをさらして・・・」と自分で自分の生き方を自嘲して言うことが多かったようです。
従いまして、他人の生き方を「生きざま」と言うことは、この上なく失礼にあたるわけです。
言葉に詳しい人なら、「あなたの生きざまにひかれて」などと言われると内心腹を立てているかもしれません。

あまり頻繁に誤用されると、知らぬ間に誤用が大手を振ってまかり通るようになってしまうことがあります。
本来、正しいか正しくないかは、多数決ではないのですが・・・
我々が下す判断や決断は、多数決ではなく、正しいか間違っているかで決めなければと思います。

カモ井加工紙株式会社
鴨井尚志 

2005/7/11

愚か者への教訓 「人」

「人」に恵まれないと嘆く者よ。心許す友なく、人に好かれないと嘆く者よ。お前の嘆きは、思いの他、深刻な事であろう。しかしながら、お前の嘆きは、「私は人間的な魅力なく、そしてその魅力を付けようとも、磨くこともしない、つまらない人間です」としか私の耳には聞こえない。
お前の頭の中に、「心配り」「ユーモア」と言う文字はあるか。私の知る限り、人としての魅力なく、幸せ者となった人間を私は知らない。
お前に人としての魅力はあるか。本を読み、芝居を見、人と会話し、自然に触れ、動植物を観察し、星を眺め、旅行をし、見識を広め、好奇心あふれる生活を営んでいるか。お前は、人を和ませ、場を明るくするような、ユーモアとウィットを持っているか。ないであろう。
お前に人気なく、友を得られぬ理由は、お前に人間的魅力がないからである。お前の理想とする友は、お前がその理想に近づこうとする努力なくして神や仏に祈りを捧げようとも、天から降ってくることは決してない。これこそ、人一倍の自分を磨く努力が必要であることを思い知れ。愚かなる者よ、相手が何を望んでいるか、すぐ応えることができる幅広い見識と役に立つ情報、優しい心配りを提供できる人となってみよ。人に幸福感を与えるような、エンターテイメントを学ぶ努力をしてみよ。そして、人間としての「徳」を磨き、光を放つ人間となってみよ。
それができぬなら、一生を、孤独と涙を友として生きるがよい。それがいやならば、己を磨く道以外に選択の余地はない。「人」なき愚か者に捧ぐ。
さて、人に恵まれない(友達がいない、恋人がいない、人から好かれない)と嘆く人々に向けた今回のメッセージですが、この問題解決にウィスラー氏は「人としての魅力」をつけることと「これこそ人一倍の努力が必要である」
と教訓の中で強調しています。現にウィスラー氏の会社では、人を楽しませる術を身に付け、明るく朗らかで誰からも愛され、誠心誠意働く姿勢こそが、会社を大きく発展させる原動力だと唱えているそうです。
「怒り、恨み、妬みといったネガティブな感情は、すべてユーモアによって消し去ることができ、笑いは天が人に与えた最高の武器である」と言われます。また、聖書の中だったと記憶していますが、「人はたった一言で傷つき、たった一言で癒される」という言葉もあります。
「人としての魅力」をあまり難しく考え過ぎると、かえって眉間にしわを寄せて笑顔を忘れてしまうことになりかねません。人間の人間に対するメッセージを突き詰めると、「敵」か「味方」かになります。「私はあなたの味方です」
を証明する最良の方法は、ほんの少しの気配りと笑顔を心掛けることと、相手の話をよく聞くことだと思います。
自分を磨く努力あってこそ人は輝きますが、その努力を始めたときから既に人は輝きを放ち、磁石のように人を引き付ける力を持つことになると思います。

おくる笑顔が美しければ、来る笑顔も美しい
する挨拶が美しければ、返る挨拶も美しい

カモ井加工紙株式会社
鴨井尚志 

2005/6/24

今日ある方のお話を聞いていて、気付いたことを少々・・・
その方のお話しは、全体的にためになるものでしたが、話の中に「多様化」という言葉が頻繁に出てきました。
価値観の多様化、ライフスタイルの多様化、家族形態の多様化、雇用環境の多様化、顧客ニーズの多様化、教育システムの多様化等々、「多様化」のオンパレードでした。
つい「あなたは多様化教の教祖様ですか?」と問いたくなるほどです。
確かに口を開けば誰しもが、したり顔で「多様化の時代だ」と言います。
しかし、あまりに「多様化」を連発されると、「ほんまかいな?」と思ってしまうのが人間の(私の?)性分です。
あらゆる商品のライフサイクルが短くなり、次から次へと流行も出ては消えていきますから、いかにも多様化のように見えますが、皆が同じ商品に殺到する現象、盆暮れや連休に全国一斉に国民が大移動をするおなじみの光景、個性を大切にしたいと言いつつ同じように髪を染める人達、女子高生の短いスカートや今は見なくなりましたがルーズソックスなど、多様化とは程遠いものが世の中には氾濫しています。
極めつけは多様化という言葉に国民全体がうなずいてしまうことです。
これらは、とても多様化とは言えず、どう見ても画一化・均一化としか思えません。
商品や情報は多種多様になって、選択肢は増えているかもしれませんが、実際に我々のしていることは、決して多様化とは言えないものです。
聞こえのいい、そしてもっともらしい「多様化」という言葉に踊らされて、現実の本質を見落としてしまうと、間違った判断をしてしまう恐れがあります。
皆さん、言葉に騙されてはなりませんぞ!

カモ井加工紙株式会社
鴨井尚志

2005/6/22

ゴルフの全米オープンが先日終了しました。
結果は、ご存知の通りニュージーランドのマイケル・キャンベル選手が大方の予想を覆して見事優勝を飾りました。
キャンベル選手は、10年前地元のトーナメントに初出場し、初優勝という鮮烈なデビューをしたものの、その後ケガで調子を落とし、なかなか陽の目を見ることがなかったそうです。
プロでありながら、80を切れない日々が続き、ゴルフを断念することも考えたとのこと。
そんな苦労人が掴んだ大きな栄光は、想像を超える喜びだと思います。
海外のゴルフを見ていると、皆さんもお気づきかもしれませんが、優勝者のインタビューが実に素晴らしいと、いつも思わされます。
今回のキャンベル選手も、優勝の喜びに浮かれることなく、対戦相手を称え競技に関わったスタッフへの感謝の言葉を述べています。
本命の一人とされながら、惜しくも2位になったタイガー・ウッズ選手も「キャンベルは底を味わい這い上がってきたプレーヤーだ。彼の努力をだれもが認めている。優勝者に相応しい人格を持った選手だ」と賛辞を贈っています。
同じフィールドで必死に戦ったもの同士だからこそ分かり合える気持ちと常に相手に対してはらわれる敬意は、見ていても聞いていてもある種の感動を覚えます。
「今日の優勝はいかがですか?」と問われ、「○○番ホールのパットがポイントでした」としか答えない日本人ゴルファーの多いこと。
上手いプレーヤーである前に、よき人間であることが大切ですよね。

カモ井加工紙株式会社
鴨井尚志

2005/6/20

今朝見たMSNのニュースの中で、目に留まったものがありましたので、その一部をご紹介します。
自身が学生時代に不良だった体験を持ち、今は学校の先生から横浜の教育委員になった「ヤンキー先生」で知られる義家弘介氏のインタビュー記事ですが、インタビュアーから「教師はどうあるべきですか?」の問いに対し、彼は次のようなメッセージを言っています。
「教師は、三つのプロフェッショナルであること。一つは、聞くプロ。声にならない子供の声にもアンテナをかざす。二つ目は伝えるプロ。どう伝得たら理解しやすいか、意識を常に持つこと。そして三つ目は、誰よりも学ぶプロであること。過去の知識で授業をしていたらダメ。一人一人どんな子か学べないことはない。学びながら生きていく。私も絶えず学ぶ人間でありたい」

これって、学校の先生だけに当てはまることではないですよね。
家庭でも、会社でも、親・経営者・上司・先輩等々色々な場面で役に立つメッセージだと思います。
さらに義家氏は、好きな言葉として魯迅の小説の中から次の文章を挙げています。
「希望とはもともとあるものともいえないし、ないともいえない。地上の道のようなもの。もともと地上には道はない。歩く人が多ければそれが道になる」
人間誰しも過去だけ見ながら生きていくことは出来ませんから、未来をもっとはっきりと見据えることが大切だとこの言葉は教えてくれています。
望む人が多ければ、希望が湧いてくる。そうすれば、道が出来てくるということだと思います。
考えさせられますねー。

カモ井加工紙株式会社
鴨井尚志

2005/6/16

「時間」に恵まれない者へ

「時間」がない、忙しい、暇がないと、嘆く者よ、自分が思い描くような人生とは無縁の生活であろう。しかしながら、お前の嘆きは、「私は時に支配され、自分で時間を作る工夫ができない知恵なき愚か者です」としか私の耳には聞こえない。
お前の頭の中に、「知恵を使う」「創意工夫」と言う文字はあるか。私の知る限り、時間の壁を超えることができず、成功者の域に達した人間は一人もいない。
お前は、日々、知恵を絞り、時間を生み出す努力をしたことがあるか。創意工夫に努め、己の力で時間を増やそうと心掛けたことがあるか。時間は自らが支配し、自らが作り出すと言うことを理解できるか。できないであろう。
愚か者よ、お前は、時間に人生そのものを支配され、実りなき人生を費やすがよい。思い通りの人生を生きたければ、知恵を振り絞り、時の次元を超えてみよ。創意工夫を心掛け、自らが時間を支配してみよ。しかし、時の次元を超えるは、そう容易なことではない。
おまえにそれができるか。難しいならば、まずは、「忙しい」と嘆くことを今から止めよ。忙しいのは誰の責任でもない、知恵なきお前の責任なのだ。
「時間」なき愚か者に捧ぐ。
今回もたいへんに厳しい教訓です。仕事や時間に追われている時は、「忙しい、そんな暇はない」とつい口走ってしまうことがあると思います。言葉に出さないまでも、そう思った経験は、誰しも心当たりがあると思います。
忙しい状態に自ら追い込んでしまうのも自分自身であり、その状態を改善しようとしていないのも自分自身です。
その責任を他に転嫁し、「忙しい」の一言で逃げようとする甘い心を見透かし、一喝を入れる誠に厳しい言葉です。
我が会員の二宮辰哉氏が以前教えてくれましたが、彼いわく「重要な仕事とか急ぎの仕事は、忙しい人間に頼むことにしている」とのこと。その真意は、忙しくしている人間ほど、時間の取り扱い、処理、管理、手際が良いので、仕事をうまくこなし、ちゃんと相応の成果を収めるからだそうです。逆に暇を持て余している人間は、「時間の管理ができていない=仕事の管理ができていない」ことの証ということになります。
確かに、時間をうまく管理できるからこそ、仕事も能率よくできるわけで、そこにはウィスラー氏のいう「知恵」と「創意工夫」が存在します。
また、厄介なのは「忙しそうにしている人間」で、「忙しい人」とは、根本的に違います。この類の人は、一見忙しい場面にいて一生懸命仕事をしているように見えるのですが、本来その人がなすべき仕事でなかったりすることが多いということがあります。「自分は忙しくしているのだから」と自分に言い聞かせ、実際には責任から逃避しているのです。
時間は、万人に与えられた平等なものだけに、反面自分だけの都合に合わせてくれません。ならば、それをいかに上手く使うかが、人生の良し悪しに大きく影響してきます。知恵と工夫も万人に平等に与えられた能力です。ただ違うのは、時間が有限であるのに対し、知恵と工夫は無限であるということです。

カモ井加工紙株式会社

鴨井尚志

2005/6/9

昨夜、サッカー日本代表が来年開催されるドイツW杯の出場権を獲得しました。

皆さんの多くも、テレビで観戦し、ニュースで確認し、新聞でおさらいをしたのではないかと思います。
私もそのうちの一人ですが、日本代表チームのプレーぶりと結果は大いに気になったものです。
私は、今回のワールドカップ予選を通して、数々の好プレーはもちろん、勝利への執念、勝負の駆け引き等々色々な場面で様々な感動と教訓を得ましたが、その他にもサッカーとは直接関係ないところで気になることがありましたので、私の観戦記番外編として書いてみたいと思います。
我が日本チームを応援するサポーターは、その大半が若者で占められているようです。顔に日の丸の絵を描き、手にメガホンや太鼓を持ち、選手と同じユニフォームを着て、次から次へとめまぐるしく展開されるプレーに一喜一憂しながら、声をからし必死の形相で応援していました。そんな彼らが連呼する「ニッポン!ニッポン!」の大合唱は圧巻ですし、応援を受ける選手もさぞかし勇気付けられることと思います。

さて、現代の若者気質とは、まわりからとやかく言われることを嫌い、自分の個性を大切にして、集団での行動をあまりしないものだと私は勝手に思い込んでいました。それに、多くのことが欧米の影響を受けているため、今の若い人たちには日本人という民族意識も日本国という国家意識も希薄になっているのではないかと思っていました。しかし、あの「ニッポン!」の大合唱は、私の現代若者気質を少なからず変えてしまいました。

「最近の若者は・・・」という言葉は、古代エジプトの頃から言われ続けているそうですが、その「最近の若者」が、自発的に集まり、一つになってあの大声援、大応援をやっています。また、日本チームが負けたとき、涙を流しながら「悔しいけど、また今度に期待します」「選手にお疲れ様と言いたい」と素直に感想を述べていたサポーターは皆、若い人たちでした。それに比べ、選手の起用方法や戦術、選手の技量に至るまで頼まれてもいないのに批評をしていたのは、世間で「おとな」といわれる四十代以上の人ばかりです。評論家になるのは、サッカーに関わる人の仕事であって、一生懸命戦った選手たちに掛けるサポーターの言葉は、「有難う、ご苦労様、頑張れよ」以外に必要ないのではないでしょうか。

以前、テレビでサッカーを一緒に見ていた友人の一人が「ウチの息子もサッカー選手で活躍するくらいになってくれたらなあ。なんせ人並みのことも満足にできやしない」と呟いたとき、隣にいた別の友人が言いました。「人並みのことができないってことは、人とは違うことができるってことじゃないのか。そう思って見ていないと子供は育たないよ」。

「日本はダメだ」と誰も彼もが言っています。しかし、若者たちは今までのどの時代より見栄を張らず、強制もされず、正直に生きています。これは将来必ず新しい価値観を生み出すでしょう。

頑張れ若者!

青年部の中ではオッサンの鴨井より

2005/6/7

「仕事」に恵まれない者へ

「仕事」に恵まれないと嘆く者よ、職に恵まれず、職があっても長続きせず、仕事が面白くないと日々嘆く者よ。
お前の毎日に喜びはなく、充実感とは無縁の生活であろう。しかしながら、お前の嘆きは、「私は責任感がなく、常に失敗を恐れ、自分で物事を決めることができない、臆病な人間です」としか私の耳には聞こえない。
お前の頭の中に、「責任」「意志」と言う文字はあるか。私の知る限り、強い意志なき者が、大成した例など、ただの一つも見たことがない。
お前は、責任感を持ち仕事を行なったことがあるか。自分でやりたいことを決める意志を持ち、そのことに責任を持つ勇気があるか。いや、お前は、自分の人生そのものに責任のある言動を取っているか。いないであろう。
生きることに責任感のないお前に、まともな仕事のできるはずがなく、まともな仕事ができなくば面白みもなく、長く継続できることもない。何をやってもつまらなく、達成感など無縁であろう。
愚か者よ、お前は親を頼り、人を頼り、成り行きに身を任せ、わが身の保身ばかり考え、失敗をした時は、自分の決めたことではないと逃げ隠れる。臆病で、自分の意思なく、自分の行なう事に責任を持とうとしない。言葉でさえ、無責任なことであろう。
愚か者よ、臆病な人間にとって「責任」という言葉は、とても恐怖に感ずるであろう。しかし、常勝者にとって、「責任」とは、希望と力と喜びであることをお前は知らない。喜びと勝利を得たくば、まずは己の言葉に責任を持ってみよ。自分の意志を発揮し、人に頼ることなく、勇気を見せてみよ。
天職など天から降ることはない。お前が仕事を選び、創造し、そして行なうのだ。責任感と強い意志こそが、その源であることを忘れるな。「仕事」に恵まれないと嘆く愚か者に捧ぐ。
今回のウィスラー卿の教訓は、仕事は与えられるもの、何か天職のようなものがあって、それが自分に与えられていない、だから不遇である、と考える甘い心を戒めています。自分は何がしたいのか、何をどうするのか、問題解決を自分自身で行ない、そして責任を持って仕事をする、あるいは人生を送ることによって大きな感動と喜びを得ることができる。仕事も人生も自分自身が選び作るもの、自分が行なうものであるとウィスラー卿は説いています。
天職とは、えてして与えられるもの、もしくはめぐり合えるもののように捉えられがちですが、教訓にあるように「天職など天から降ることはない」のです。職種や仕事の内容によって、向き不向きがあることは確かです。しかしそれは、自分の特色を充分に生かしきれていない途中経過であって、最終結論ではありません。現実に、吃音症で営業成績トップのセールスマンが存在し、小柄でもバスケットボールのトッププレーヤーがいます。
今自分が関わっている仕事を自分の感性と努力によって天職にする気概を持ってことにあたらなければ、「天職」どころか「転職」の人生になりかねません。

カモ井加工紙株式会社

鴨井尚志

2005/6/6
「運」に恵まれない者へ
自分は「運」がないと嘆く者よ、人生に見放され、哀れな日々を過ごしていることであろう。
しかしながら、お前の嘆きは、「私は自分が恵まれることしか考えず、人に恵むことなど考えたことのない、身勝手な人間です」としか私の耳には聞こえない。
お前の頭の中に、「モラル」「道徳」と言う文字はあるか。私の知る限り、人の道を守らずして、己の運強く繁栄している者を見たことがない。
お前は、運とは空から自分に降って来るものと信じ、自分は恵まれるべき人間であると思い上がっているであろう。お前は自分が得ることばかりを考え、人に施しをしたことがあるか。お前の身勝手で、周りの人がどれだけ振り回されているかを考えたことがあるか。ないであろう。
愚かなる者よ、よく聞くがよい。お前は、運に嫌われているのではない。人に嫌われているのだ。
人に見放されたお前に、運などがめぐり来ることはありえない。人生に忌み嫌われ、哀れな一生を過ごすがよい。それがいやならば、己が与えてもらおうとする、その奪うような卑しい心を改め、人を助け、思いやりのある人間となってみよ。人としての道を歩み、モラルを身に付けた大人となってみよ。人としての道とはいかなる道か、などという愚問に、私は答えるつもりはない。
感じるな。自分自身の頭で考え、そして行動せよ。「運」なき愚か者に捧ぐ。これは、イギリスのある会社の社長でウィスラーという人が残した「愚か者への教訓」の一節です。「運」がないと嘆く。これは裏を返せば、自分は何か恵まれるべきであり、何か運良く恵まれたい、努力しないでおいしい目にあいたいと言っているのと同じです。上記の教訓は、愚か者のその卑しい心を見抜き、何か与えてもらいたいと日々願っている子供のような言動を一喝する、誠に厳しい教訓です。
何かを与えてもらう心より、与える心を持つ、すなわち大人の言動がとれる人物になれとウィスラー卿は説きます。「運」がないなどと嘆いているレベルでは、とても大人の心ではないことをいとも簡単に見透かしています。さて、教訓の最後に「感じるな。自分自身の頭で考え、そして行動せよ」とありますが、これは一体いかなることでしょうか?
私も最初理解しにくかったのですが、私なりの解釈では、ウィスラー氏は、愚かなりし者の心を鋭く読んでいたのではないかと思います。運なき愚か者に「感じるのだ」と言った場合、すべてを自分の都合よく解釈し、「言い訳」を創作してしまうことをウィスラー卿は知っていたのです。愚か者が考えずに感じていたら、ますます努力を怠り、さらなる悪循環を引き起こしてしまいます。
この教訓でいう「感じる」ことは、自立心であり「考える」ことができる大人の行動であって、己の経験、知識、判断力、そして道徳心や倫理観といったものが養われた上でのものでなければならないと教えてくれています。

カモ井加工紙株式会社
鴨井尚志

2005/6/2
私が所属する団体にロータリークラブという奉仕団体があります。年寄りの昼食会だと揶揄されることもありますが、このクラブは、奉仕を旨とした活動を展開しており、今では世界140カ国以上、100万人を超す会員を擁する大きな組織となっています。
最初はアメリカのシカゴで、ある青年弁護士を中心に職業の違う4人の仲間が、親睦と友愛を深め、心温まるそして気の許せる友の輪を広げたいというところから始まったものですが、やがて会員も増え、組織的な活動ができるようになり、それぞれの職業を通じて社会に奉仕すべきではないかと組織の性格を明らかにして今日に至っています。
この大きな組織が、ロータリークラブの名の下に、世界中で奉仕の理想を求めながら活動するためには、共通の方向性とか理念を持たなければなりません。ロータリーの綱領に始まり、「理念」「使命」「指針」「標語」等々ありますが、それらを端的に表し、活動の倫理的羅針盤となっているのが、「4つのテスト」というものですので、ここに紹介します。
1.真実かどうか
2.みんなに公平か
3.好意と友情を深めるか
4.みんなのためになるかどうか
(言行はこれらに照らしあわしてから)
簡潔さの中に深い意味を包含するこのテストは、もともとロータリークラブの会員の会社で実際に使われていたもので、事の大小にかかわらず、諸事決定を下す際の基本となりました。
真実かどうか・・・真実は不変であり、時代を超越するものです。真実は正義なくして存在し得ません。
みんなに公平か・・・激しくやりあう競争社会の中で、公平さを取り入れたビジネスは、お互いの関係を傷つけるよりも、その関係向上に役立つものとなります。
好意と友情を深めるか・・・人は生まれながらにして、他者と協力して生きていく存在であり、愛情を示すことは生来備わっている本能です。
みんなのためになるかどうか・・・この項目は、無慈悲な競争を排除し、代わって建設的で創造的な競争を導入するものです。
4つのテストは、国家という枠を超え、国境や言葉の障壁を超越するものですし、いかなる形であれ人生を成功に導くための要素を含み持っています。ロータリークラブへ導入してからも半世紀以上続いているこの指標は、緊張と混乱と不確実性に満ち溢れた今の社会でも有効性を保持し、かつ実効性のあるものと思われます。変革の時代といわれる今、変わることの大切さと勇気も必要です。しかし一方、いつの時代にも通用する不変のものも存在することは事実です。そして最終的なテストは、実際に行動することにあります。
テストの答えを出すのは、あなた自身です。   
                                                                       
カモ井加工紙株式会社
鴨井尚志

2005/5/31
今日で5月も終わりです。うっとうしい梅雨が目前ですが、雨も降らなければ困ります。曲がらねば屏風は立たないと言うことでしょうか?
さて、今日のご案内は、今月読んだ本やお会いした人との話から、面白そうな言葉を選んだものです。
何かの参考になればと思います。

・経営とは、科学ではなく職人芸である。彫刻家が冷たくて硬い無機質な岩を まるで生きているかのような動きのある作品に仕上げていくのに似ている。
・偉大なリーダーシップとは、普通の人が努力すること。
                                (以上カルロス・ゴーン)
・異論・反論のない話し合いは、会議ではない。連絡会だ。
・同じ水でも、牛が飲めば乳となり、蛇が飲めば毒となる。
・「完売」は、売り手の満足。買い手の不満足。
・「負けた」と言わない限り、勝っている。
・目先の善は、やがて大きな悪となりうる。
 大きな善は、非情に見えるが、やがて成功を呼ぶ。
・自分で見えない自分の背中に対してどれだけ責任を持てますか?
・やりたいことというのは、やらなければならないことの向こう側にある。
・あなたは、「神様お願いします」と最後に言うところまで努力をしましたか?
・主張のある仕事、主張のある生活をしよう! (大原孫三郎)

以上

カモ井加工紙株式会社
鴨井尚志 

2005/5/25
倉敷のある会社の来年度採用者の実話をご紹介します。
あるサービス業をしている会社が、来年度の採用の募集をかけたところ、東京の女子大生から応募があったそうです。
その彼女は、東京生まれの東京育ちで、倉敷には何の縁もゆかりもありません。
社長が「なぜ倉敷なのか?なぜ我が社なのか?」と聞きましたら、彼女の答えは、「以前倉敷に旅行をしたことがあり、そのとき町の雰囲気が自分に合っていたことと、倉敷の人がとても親切だったから。
バスに乗ってもタクシーに乗っても、運転手の方がわかりやすく丁寧に案内をしてくれたし、街行く人も笑顔で道を教えてくれ、目的地まで一緒に歩いてくれた。
全国色々なところへ旅をしたけれど、こんなに晴れやかな気持ちで旅行できたのは、倉敷が一番だった。倉敷に恩返しする意味も含めて、自分の人生を豊かにするため、是非倉敷で働きたいと思い、倉敷の企業をインターネットで捜していたら、仕事に対する情熱と経営理念が社長の言葉からほとばしっていた会社を見つけた。それがこの会社です」との
こと。
その社長は、彼女の思いに心を打たれたと同時に、倉敷の人に感謝をしたいと仰っていました。

直接・間接に関わらず、人の行いはどこでどのように評価されるかわかりません。また、いつ評価されるかもわかりません。
ついつい目の前ですぐに結果を求めがちな小生なんぞは、このような話が胸に突き刺さります。
普段の言動に改めて注意を促してくれるお話でした。
青年部の活動も、今すぐ評価が出るものばかりではないかもしれませんが、5年先、10年先のための布石になればいいですね。

今を楽しみたいなら、花屋へ行きなさい
1年先を楽しみたいなら、花をつくりなさい
10年先を楽しみたいなら、木をつくりなさい
30年先を楽しみたいなら、人をつくりなさい

カモ井加工紙株式会社
鴨井尚志

2005/5/23

実際に事業に失敗して、会社を倒産させた人のメッセージをご紹介します。

事業に失敗するコツ12カ条

1.旧来の方法が一番良いと信じていること。

2.餅は餅屋だとうぬぼれていること。

3.暇がないといって本を読まぬこと。

4.どうにかなると考えていること。

5.稼ぐに追いつく貧乏なしとむやみやたらと骨を折ること。

6.良いものは黙っていても売れると安心していること。

7.高い給料は出せないと いって人を安く使うこと。

8.支払いを延ばす方が得だとなるべく支払わぬ工夫をすること。

9.機械は高いといって人を使うこと。

10.お客はわがまま過ぎると考えること。

11.商売人に人情は禁物だと考えること。

12.そんなことはできないと改善せぬこと。


13番目に、「青年部に入っていないこと」を入れてはどうでしょうか?


カモ井加工紙株式会社

鴨井尚志

2005/5/19

今回は、「参考までに」というよりも、青年部の総会でお話しましたことを、会員全員の方にに知っていただくのが
良いと思い、投稿いたします。
この話は、自分で結構気に入っているヤツでして、今度「朝礼バージョン」に変えて、社内で話そうと思っています。

(総会での挨拶)
私が中学生のとき、社会科の時間に先生から「地図帳を見てもいいから、香川県を描きなさい」と言われました。

私は四国地方の地図を見ながら、なんとか香川県を描きあげました。続いて先生に言われるままに、徳島県・愛媛県・高知県と描いていきました。その作業が終わったところで、先生は、「今描いた一枚一枚の地図を切り取って、四国全体にしなさい」と言うのです。

ものの見事に先生の策略に引っ掛かり、四枚の地図を合わせてみると、県境がピッタリ合致するような状態ではありませんでした。あるところは大きな隙間ができ、あるところは重なってしまいます。山脈もずれてしまい、川もつながりがなく、鉄道は寸断され、どんな大地震が発生してもこんなにはならないだろうといった代物でした。    

私一人だけの作業でなく、四人が別々の県を描き、それをくっつけたのであれば、まだ慰めの余地もあったかもしれませんが、実際は地図帳を横に置き、自分一人で懸命に模写したつもりで描いたにも関わらず、結果として日本中の(恐らく世界中の)どこにも存在しない地域を自分で作ってしまったことに、私は少なからずショックを受けました。

「合成の誤謬(ごびゅう)」という言葉があるそうです。その意味は、部分部分では正しくても、全体では間違っていることを指します。私が中学生時代に経験した上述の地図描き作業はまさに「合成の誤謬」であり、「木を見て森を見ず」のことわざ通りだったと思います。そのときの私は「先生にしてやられた!」という悔しい気持ちしかなく、そのまま見過ごしていましたが、今思えばとても大切なことを教えてもらっていたことに気づきます。

もし私が「香川県を描きなさい」と言われたとき、まず四国全体の面取り図を描いて、その後に山脈の位置や川の流れや鉄道のつながりを頭に入れ、一つ一つの県を描いていったとしたら、「新しい四国」を誕生させることはなかったでしょう。

青年部会員の皆さんは、日々の仕事に励みながら貴重な時間を割いて、地域の活性化を実現するために、あるいは自己を研鑽するために活動しています。イベントを企画・提案し、それについて幾度も議論し合い、周到な準備のもと確実に運営していくという一連の活動は、四国の地図を描く作業と基本的に何ら変わりはありません。

それぞれの委員会がそれぞれの役割を担い、必死になって遂行してくれているだけに、これからも全体のバランスを考えて活動していただければ、個と全体が調和し、青年部の活動に一層の重みと輝きをプラスしてくれると確信しています。

よく報道で「日本も国際社会の一員である以上、いやおうなく全世界との調和を求められる。もう日本のことだけを考える時代ではない」という言葉を耳にします。これからというよりも、今既に人も企業も国も、常に全体のことを視野に入れて、調和を図りながら個々に活動することが求められています。

自分のこと、目の前のことだけでなく、周りのこと総てに気を配り、決して他人事にしない青年部を皆さんの手で作り上げていきましょう!

カモ井加工紙株式会社
鴨井尚志

2005/5/19

数年前、小生の息子(当時小学校4年)が急激な視力低下になり、眼科に行きましたが、 
なかなか回復せず悩んでおりましたところ、小生が行きつけの鍼灸師の先生に「一度連れておいで」と言われ受診させました。
すると、首筋の凝りが視力低下の原因かもしれないとのことで、治療してもらった結果2週間ほどで視力が完全に回復し、親としても安堵した次第です。
数ヶ月前、娘(当時中学校2年)が部活で肩を痛め、これまた小生が行きつけの鍼灸師の先生に治療してもらいました。現在も通院中ですが、最近娘に変化が起きました。
それまで些細なことに苛立ち、すぐ当り散らし、周りも腫れ物に触るような扱いでした。 
親はてっきり思春期で、多感な年頃だからと勝手に思っていたのですが、先生いわく「娘さんかなりの肩凝り症ですね。あれだと頭に血流が行き届かないから、イライラしますよ」とのこと。
痛めた肩の治療と一緒に肩凝りの治療もしていただいたお陰で、娘は別人のように穏やかになり、顔のニキビも消しゴムで消したのかと思うほどひいていきました。冷え性も改善したと娘は大喜びです。
肩凝りや首の凝り、筋肉の硬直が血流を悪くし、様々ないたずらをすることは今更言われなくとも皆さんご存知でしょうが、特に脳への血流が悪くなると、我が子達の事例のようなことまで起きてしまいます。
逆に、イライラしたときや腹が立つとき、「ああ、これは肩凝りからきているのだな」と思えば、多少は解消できるかもしれません。
仕事でお疲れの皆さん、肩凝りを放っておくと、正しい決断力を欠くことになりますぞ!
くれぐれもご注意を!

カモ井加工紙株式会社
鴨井尚志

2005/5/13

こんな文章を見つけました!

「ありがたくおもいなさい」

欲しいものすべてをまだ手にしていない、ということに感謝しよう。

もしすべてを手に入れてしまったら、楽しみにできるものがなくなるから。

何か知らないことがあったら感謝しよう、学ぶ機会を与えてくれるから。

苦しいときがあることに感謝しよう、そんな時こそ成長するチャンスだから。

制約や限界があることに感謝しよう、改善のための機会を与えてくれるから。

いろんな困難に出会うことに感謝しよう、それがあなたの力や人格を育んでくれるから。 

失敗をした場合でも感謝しよう、あなたのためになる教訓を与えてくれるから。

疲れたり弱ったりしても感謝しよう、あなたに変化が必要だということを教えているから。


良いことに感謝することは誰にでもできる。

豊かに充実した人生を送っている人を見てみよう、彼らは挫折や失敗をもありがたく受け入れている。

もう、どんな困難や苦しみにもくじけることはない。

物事のすべては、それをどう受け止めるかで決まる。

感謝の気持ちさえあればマイナスはプラスに変わる。

どんな困難に出会っても感謝の仕方がわかれば、すべての問題は天からの恵みに変わるだろう。

カモ井加工紙株式会社

鴨井尚志

2005/4/28

失敗の贈り物

「失敗」しても私は敗者でなく、まだ成功していないということ…。

「失敗」は何も為し遂げなかったのではなく、私が何かを学んだということ…。

「失敗」は私が愚かだったわけではなく、試そうという信念があったということ…。

「失敗」で私の面目が失われたわけではなく、思い切ってやってみたということ…。

「失敗」で何も手に入らなかったわけではなく、別の方法でやってみるということ…。 

「失敗」は私が劣っているからではなく、完璧ではないということ…。

「失敗」は人生を無駄にしたわけではなく、人生をやり直す口実ができたということ…。 

「失敗」はそこで諦めるべきではなく、もっと頑張ってみるべきだということ…。

「失敗」は決してうまくいかないのではなく、もっと鍛える必要があるということ…。 

「失敗」は神様に見捨てられたわけではなく、神様にはもっといい考えがあるということ。

カモ井加工紙株式会社

鴨井尚志

2005/4/26

順調なときほど危機感を持て
佐治敬三(サントリー二代目社長)に学ぶ
父親が創業した「寿屋」を継ぎ、総合飲料メーカーのサントリーを育て上げた。先代の遺産を受け継ぐだけでなく、どう昇華させたのか。佐治敬三の真骨頂に迫る。
佐治が42歳を迎えた61年、父親の後を継いで社長に就任する。良き時代にバトンタッチした佐治が、自分の心を引き締め、会社全体の空気を緊張させるために挑んだのが、ビール事業の立ち上げだった。
●一定の勝ちパターンに安住せず
会社を引っ張っていく時、うちはまったくの健康体だと自信を持ち過ぎるのは良くない。どっかおかしいのと違うか、自分のやってることは、ひょっとしたら間違うてるかもわからんで、という危機感があった方がいいんじゃないでしょうか。
ウイスキーだけをやっておった時、作れば売れていきよるという自信満々の時期があったんです。でも、それではどこか神経が伸びきってですね、かえって大きな弱点となる危険性がある。それでビールを始めたんです。
非常に難しい仕事に挑戦することで、一種の危機感が社内に出てきました。よく一病息災と言いますが、あれと同じことかもしれない。社内に新たな活力が湧いてきました。

カモ井加工紙株式会社
鴨井尚志

2005/4/22

セブンイレブンのおにぎり秘話をご紹介します。
セブンイレブンが、おにぎりの販売を開始するにあたって、社内会議が開かれた時賛成派の若手グループと反対派の年長グループが真っ向対立しました。
反対派は、「米を主食にしている日本人が、毎日家庭で食しているものをわざわざコンビニで買うはずがない」と言い、賛成派は「米を主食にしている日本人だから、コンビにでもおにぎりを買うはずだ」と主張しました。
どちらの意見もそれなりに説得力があり、激しい議論が交わされましたが、「何もしないための会議は意味がない」ことと「コンビニの主要客が若年層である」ことから若手の賛成派意見を尊重することになり、おにぎりの販売が決定しました。
しかし、発売当初は決して順調な売り上げではなかったようです。
その後、米の種類や炊き方(米の硬さ)、具の種類、塩加減、地域特性、包装形態等研究され、試行錯誤を繰り返しながら現在に至っています。
ここで、おにぎり市場を数値化してみますと、セブンイレブンだけで、1日170万個平均売れているとのこと。 1個単価を仮に100円としても、100円×170万個で1億7千万円の売り上げです。一年にすると、な・な・なんと620億円になります。 
たかが「おにぎり」とはいえませんね。
このお話には、いくつかの教訓が潜んでいます。
皆さんの会社の「おにぎり」はどうですか?

カモ井加工紙株式会社
鴨井尚志

2005/4/21

読んでいた雑誌の一部をご紹介します。

「情報を釣る」
情報をたくさん集めなければいけないと思っている人がいます。もちろん情報は多いほうがいいということはあるでしょうが、そんなにたくさん情報を集めても実際に役立てて使えるの?
と問われると、なるほどそれはそうだと思うでしょう。
情報をたくさん集めて、これから何が言えるだろうと考える方法は、科学的研究では不可欠のことです。一部の情報やデータだけで判断すれば、間違った結論を導く危険は大です。 
このような方法のことを、難しくいえば「帰納法」といいます。
ビジネスに必要なほとんどの情報は、研究的なものは別にして、数多く集めて必要なものを選び出すのではなく、情報という大海から、役に立つものを釣り上げるような気持ちになる方がうまくいきます。
情報は、集めて整理するという大掛かりな方法ではなく、釣り上げることができます。それはどうするのかって?この時に使う釣り針は「問題」です。はっきりと自分が知りたい問題を持っていれば、必要な情報は自然と集まってくるものなのです。

カモ井加工紙株式会社
鴨井尚志 

2005/4/20

よく5Sだ6Sだと言われますが、世の中にはとんでもない会社があります。
5Sで悲鳴を上げている弊社には、気の遠くなるような「S」の数です。
顧客満足度日本一を誇り、2004年度日本経営品質賞を受賞したホンダクリオ新神奈川の社員教育「30S」をご紹介します。

1.「整理」 無駄なものを捨てること
2.「整頓」 必要なものを必要な場所に置く
3.「清掃」 拭き、掃き、清めること
4.「清潔」 衛生的であること
5.「躾」   礼儀正しいこと
6.「作法」 行儀のよいこと
7.「清楚」 飾り気が無くて美しいこと
8.「素直」 注意や忠告を受け入れること
9.「親切」 困っている人を助けること
10.「誠実」 嘘やごまかしをしないこと
11.「信用」 間違えのないこと
12.「真剣」 命がけで行うこと
13.「正義」 純粋な心、損得よりも善悪
14.「辛抱」 (忍耐)向上心を持ち続けること
15.「債権ゼロ」 売掛禁止、出来心防止
16.「スピード」 すぐ実行すること
17.「スマイル」 常に笑顔を保つこと
18.「サンクス」 全てに感謝の気持ちを持つこと
19.「サービス精神」 心のこもった対応をすること
20.「センス」 磨けば光る
21.「ショールームはリビング」 お客様のリビングルームにすること
22.「節約」 無駄を省く、必要なお金を使う
23.「率先垂範」 上司がやって部下に見せること
24.「切磋琢磨」 競い合うこと
25.「趣味の推薦」 読書と貯金と親孝行
26.「心配が仕事」 幹部の仕事は心配すること
27.「先輩がマニュアル」 先輩は全員がマニュアルに
28.「失敗は会社の財産」 失敗の公表
29.「創意工夫」 独創的な考え、新工夫
30.「先生はお客様」 お客様は月謝を下さる先生

以上
皆さん、よければ是非実践してみてください。

カモ井加工紙株式会社
鴨井尚志

2005/2/28

鴨井です。
日々ご自身のお仕事に加え、青年部の活動に励んでおられる皆様に、心から敬意を払いたいと存じます。
以前、プロジェクトXでも取り上げられた、「薬師寺金堂復元プロジェクト」の中心人物、宮大工西岡常一氏の言葉について、我々にも参考になるお話を発見しましたので、ご紹介します。

宮大工の教え
「塔組(とうぐみ)は、木組(きぐみ)。木組は、木の癖組(くせぐみ)。木の癖組は、人組(ひとぐみ)。人組は、人の心組(こころぐみ)。人の心組は、棟梁の工人(職工)への思いやり。工人の非を責めず己の不徳を思え」

これは、神社仏閣の工事を専門とする宮大工の家に、昔から代々伝わる口伝(くでん)の教えだそうです。

 この教えを会社組織に当てはめてみましょう。棟梁とは宮大工の親分ですが、これは会社経営者、あるいは各部門や部署の長に置き換えられます。

 まず、この塔組を会社の組織と解釈してください。これは社員すなわち人間が組みます。木組は原文では材木の木ですが、これを気持ちの気に換えてみますと、「塔組は木組」が「組織組は気組」となり、その意味は、職場の大小に関わらず、皆の心が揃わなければならない、組織は人間の気を組むものである、と解釈できます。

 次は「木組は木の癖組」です。まっすぐな木だけでは、建物はできません。芝居が善人ばかりでは成り立たず、悪人が入らなければ劇にならないように、一軒の家を建てるにしても、まっすぐな木だけでは強度が弱くなってしまいます。まっすぐな木と曲がった木を使うとき、それをどのように組み合わせて強さと構造の美を出すかが宮大工の腕の見せどころです。

 人間でも同じです。癖があることは、悪いことではありません。何らかの癖を持った人間と癖のないまっすぐな人間とを組み合わせることで組織は強くなります。癖のある人間ばかりを集めても、また癖のない人間ばかりを集めても、どちらも能率は上がらないでしょう。組織の運営は、一つの芸術品を創っていくようなもので、様々な社員が持つ、それぞれの癖(個性)をどう生かすかが指導者に問われるのです。

 個性は、周りと調和したときにこそ、その美しさを発揮するといわれますが、口伝からは、人間と人間をただ物理的に配置するのではなく、その心と心を組み合わせることが大事だということが読み取れます。

 教えはさらに、「人の心組は、棟梁の工人への思いやり。」と続きます。

 宮大工の世界では、上に立つ者は厳しい言葉も使います。時には殴ったり蹴飛ばしたりすることもあるでしょうが、それに対して工人が「反乱」を起こさないのは、棟梁であるリーダーの工人つまり部下への思いやりが通じているからです。

 「上司の話を聞かない部下はいるが、上司の行動を見ない部下はいない」といわれます。見えないところで、目配り・気配り・心配りをすることが、お互いの理解を深め、大きな絆を作り上げます。上司と部下の間にも通じることだと思います。

 最後は「工人の非を責めず己の不徳を思え」です。部下の間違いを責める前に、まず自分の人間としての徳の足りなさを恥じる。これはまた、不思議と部下に通じるものです。上に立つ者はどこまでも謙虚でなければならない、ということを口伝は言っています。

 日本各地にある国宝級の木づくりの社寺建築物は、一棟数十万個の部材からなり、何百年あるいは千年以上の時を経て、今も朽ちることなくその美しさと機能を保ち続けています。千年先を考えてそれら建造物を手掛けた宮大工の教えは、単なる物作りのマニュアルにとどまらず、組織や人を作る原点を教えてくれます。
それぞれの会社のみならず、青年部の運営にも当てはまるお話でした。

カモ井加工紙株式会社
鴨井尚志

2005/2/22

先日の全国会長研修会で、「テーマ別研修会」が実施され、小生は「長期ビジョン策定」 
というテーマのグループに配属されました。
その中のメンバーに、2年前大阪で開催された全国大会を主催した守口門真YEGの方
(現会長)がいて、彼いわく「全国大会がYEGの目的になってしまい、大会が終了すると皆目標を失ってしまった。いわゆる燃え尽き症候群に陥り、次の目標を見つけることに苦労している。」とのこと。
我々も、朝市をYEGのゴールにしてしまうと、守口門真YEGと同じになってしまいます。
今回の朝市は、中村会長が我々のなすべきことを具体的に示してくれた格好の題材だと思います。
あれこれ試行錯誤はあると思いますが、それらが総て参加したメンバーの血肉になることに疑う余地はありません。
恐らく参加の動機が何であっても、やっていることに「物語」があれば、メンバーの方向性はひとつになるものと信じています。
「失敗」と書いて「ケイケン」と読む。「経験」と書いて「ザイサン」と読む。の気持ちでもうひと踏ん張りしましょう。
悩んだときに相談できるのがYEGのメンバー。 励ましてくれるのも、叱ってくれるのもYEGのメンバーですよね!!

カモ井加工紙株式会社
鴨井尚志

2005/1/28

鴨井です。
「ダイエー崩壊」について書かれた書物の概略を知人からメールでいただきました。
規模の大小を問わず、教訓に満ちた内容なので、皆さんに紹介したいと思います。

「ダイエーの蹉跌−企業参謀の告白」 田畑俊明著 日経BP社   
1.ダイエー崩壊、9つの罪悪と悲劇   
2.なぜ営業力が回復しないのか   
3.答えは、今やっていることの逆にある
足掛け10余年にわたる営業不振を続けながら、それでもブレーキを持たない拡大に身を投じたダイエーは、2兆 6,000億円という多額の負債を抱え、2000年10月から11月にかけて、実質倒産の状況に陥った。 その再建の任を受け8年ぶりにリクルートから復社した高木邦夫を社長とする新体制は、中内功をはじめとする旧経営陣を一掃、合理化による負債削減と営業力回復の構想を立てて、2001年1月、自主再建の道を歩み始めた。 その新体制の中に、営業統括として10年ぶりにダイエーに復帰した、平山敞副社長の名があった。営業力回復の切り札として、高木社長から強い要請を受けての就任だった。再び、平山副社長の下で2年間にわたりダイエーの再建に腐心した私が感じたことは、この2年間、ダイエーは本当に再建企業としての自覚と危機感を持って変革を進めてきたのかという疑問だった。この執行体制は、旧体制の尻尾にすぎない。これは再建ではなく延命である。ここに来て、時計の針は逆回りしている。これが復帰後の2年間の体験から得た結論だった。
 2001年1月、高木新体制がスタートし、2月末には、新しい営業方針が確認された。そのとき、私はシナリオプランナーとして、元気な店舗再生、元気なコスト再生、元気な人と組織再生のために、「元気・500 」と名前をつけたシナリオを準備した。しかし、このシナリオは、高いポテンシャルを持ちながら、結局、信頼感の醸成を伴って組織と社員の中で共有されることはなかった。
 シナリオプランナーとしてトップボードへの影響力が十分でなく、力量不足、根気ある提案の努力不足があったことは否めないが、決定権、執行権、人事権などを持たないスタッフでは限界があったという実感が強い。だが、いかなるスタッフも、シナリオも、提言も、諫言も、トップの資質と度量と器次第で生きもするし、死にもする。
 ダイエーの再建は、本当の企業再生を意図するものではなく、再建という名の延命作業でしかなかった。本来、再生のためにやらねばならない、旧体制の破壊や未体験の領域に足を踏み入れるような、これまでにない物事の決断と決行などに伴うリスクを極力避けようとする空気が支配した。現状維持の中で、回収できるものは回収しようとする債権者側の意図、またその意に追従するマネジメントの姿勢にすべての責任があったといえよう。
店長や各売り場のマネジャーなど 4,000人を超える店の管理職の中には、素晴らしい仕事をする人材が1割から2割はいた。だが、それが組織の中でひとつの固まりにならない。それぞれが孤独な戦いにとどまっており、ややもすると従順な羊になり、火を吹くようなエネルギーのうねりにならない。
 どんなに優れたシナリオも、主役がそこに打ち込んでいるテーマを理解しなければ、そして踊らなければ、その価値は無と化す。
 2001年1月、高木新体制がスタートしたが、その時点から2年余り、ダイエーで育ち、過去の古いダイエーの血と DNAを持った50歳から60歳前後の人たちが経営ボードのメンバーとして存在し続けていた。一度はダイエーを退社、外から戻った人もいたが、いずれも過去のダイエー内での成功体験者であり、破壊と新たな創造、深層にある病巣にメスを入れる素質はなかった。
銀行からの出向者もいたが、改革の先頭に立つわけではなく、お目付け役であり、せっかくの異質が改革に活かされることはない。何度か組織の変更を試みたが、結局は同質同類的な編成の枠を超えることはなかった。本当の意味での改革推進を彷彿とさせるような人材が導入されたり、登用されたりすることはなかった。
一度おかしくなった企業は、おしなべて、人件費の削減には力を入れるものの、それ以外のコストをザルのように垂れ流しているケースが多い。ダイエーでいえば、商品投資は全コストの 60%から 70%に達する。仕入れ 
から販売までの商品管理のプロセスで発生している無駄とロスは、人件費の削減で手にする利益をはるかに凌ぐ。
 例えば、情報システム。膨大な投資をし、毎年毎年、数十億円のランニングコストを投入しているにもかかわらず、業務改革には手をつけない。無駄なペーパー資料や、報告のための報告書は一向に減らない。逆に増加する。
遠方にいる高い給料の管理職を、本社の会議に召集し、議論もしない、言うべきことも言わない、おかしいことをおかしいとも言わない。差し障りのないシャンシャン会議。報告を聞くだけで今後のアクションにつながる決定もしない会議。それが、週に2度、3度、1日中行われる。
 品揃えにしても、一応何でもあるが、欲しい商品、求める商品がない。食品売り場にしても、衣料品売り場にしても、日用品やインテリア売り場にしても、非日常的な、こだわりを持った、異質な、新しいニーズを持ったお客に応えられるような商品がほとんどない。売り場は、わざわざダイエーに足を運ぶに値する価値、感動、魅力に欠けていた。アンケートで集められるお客の声も、当たり前のこととして、問題にされない。時にトップが出席する営業会議で、担当セクションからその実態についての調査結果が報告されても、これを真剣に受け止め、前向きな論議に発展することはない。大変なエネルギーとコストをかけて得た情報が、「報告のための報告」作業と化している。ダイエーを崩壊に導いた罪悪と悲劇を9つにまとめてみた。1.変えないことは罪悪である2.変革を妨害するパワーの温存は罪悪である3.うそ、隠し事、ごまかしは罪悪である4.魂のない再建計画に明日はない5.現場に立たないトップに価値はない6.局地戦に勝てない戦いは敗北である7.共産主義的平等は罪悪である8.方針の丸投げと放置は罪悪である9.真の改革者不在の再建は悲劇である 自らが作ってきた仕組みを自らが崩すことは、並の人間にできることではない。忘れることのできない苦労と努力があり、それなりの達成感と勝ちの喜びを持っている当人にとっては、それらが自身の中で貴重な財産になっている。過去の栄光は美しくもある。 勝海舟は、幕末の動乱期の諸藩の興亡を見て、「忠義の士、国を潰す」と言った。守りたい一念が、潮の流れ、風の向き、空模様の変化を見る目を曇らせ、守るつもりが逆に崩壊を早めることを意味する。 ダイエーの抱える課題の根深さを前提にすれば、トップの人選は、外部に求めるべきだった。けっして過去実力者であったOBであってはならない。 コメント: 仲間意識、身内主義が支配するわが国の企業や社会では、外部から力のある人間を連れてくるということには、ほとんどの場合、絶望的である。また外部の人間をリーダーに選んでも、協力が得られず、浮いた存在になってしまう危険も多い。内部に問題があればあるほど、外部にそれを知られたくないという思いもある。それが隠蔽体質を生む。ダイエーのことを他人ごとと笑えないのではないだろうか。日本人にかぎらないが、民族の体質を急に変えるということは容易でないことがわかる。

カモ井加工紙株式会社
鴨井尚志

2004/9/24

鴨井です。
お彼岸も過ぎ、青年部の活動も一年の半分を経過しようとしていますが、皆様におかれましては如何お過ごしでしょうか?
中村会長の強いリーダーシップの下に、今までとは違った青年部が歩を進めていることを恐らく皆さん実感されていると思います。
先日日経ビジネスの中にアサヒビールの社長が次のようなことをコメントしていました。
「物事は、変える勇気と変えない勇気が必要だ。変わることを意識すればするほど、本当に変えてはいけないコアの部分が見えてくる」
「変わる」ことを意識しすぎるあまり、肝心なものまで置き去りにしてしまうことってよくありますよね。
中村会長が色々なことを我々にぶつけてくれるのは、まさに青年部のコア(原点)を見つめ直せとの呼びかけに他ならないのかもしれません。
残り半分を皆さんで大いに盛り上げて、我々の原点を再確認しましょう!
さて、そろそろ皆さんの会社でも来春の新卒採用の活動が始まっていると思います。
弊社でも先般高校生の面接がありました。
その内の一人は、極度の緊張からか三交替勤務のことを「参勤交代」と間違える人もいました。(ウチは大名ではない!!)
小生も笑うに笑えず、間違いを指摘することもできない瞬間でした。
そうこうしているとき、ある記事が目に入ったので、皆さんに紹介しておきます。面接のとき使えまっせ。
「この結果は、お前への評価ではない。お前を育てた両親へのプレゼントだ」
今年で、勤めて十二年になる、私の会社の社長に、入社面接の内定をいただいた際に言われた言葉です。
面接時に聞かれがちの”会社を選んだ理由”や”自分の長所は?”などとは一言も聞かれず、社長が私に問いかけたのは”お前のお父さんはどんな人だ?””お父さんの趣味は何だ?”など家族のことばかりでした。
そして一時間もの間、家族の話をした後、その場で内定をくださり、この言葉をくださいました。
この内定の評価は今まで、私を育ててくれた両親へのものであり、私自身への評価は、入社後に自分でつくっていきなさい…という事でした。
何年働いても、私の評価はまだまだ出ませんので、今でもこの言葉が私の支えです。

カモ井加工紙株式会社
鴨井尚志

2004/9/15

鴨井です。

ある雑誌のコラムに載っていた文章を紹介します。
「言い訳」がテーマですが、自分にも思い当たる節があり、読んでいてドキッとしました。
言い訳を列挙していると、やがて「できない」という信念を自分に植えつけてしまう恐れがあります。
皆さん、ご注意を!

 訊かれてもいない言い訳をすることほど見苦しいことはない。今年7月に行なわれたゴルフ全英オープンで、30位の不本意な成績に終わった丸山茂樹プロは、その典型であった。
 試合が行なわれたロイヤルトルーンは飛行場の近くにあり、おまけにコース内を列車が通るという特異な環境にある。選手がプレー中であろうと飛行機が飛び、列車が走り、その音がプレーの妨げとなることもしばしばである。
 丸山選手は二日目、この飛行機の爆音でショットを曲げ、リズムを崩した。また、パッティングの最中に列車が通り、これもプレーに影響した。ショットを曲げた瞬間、飛行機をにらみ、列車の音で顔をしかめていた。
 試合後のインタビューでは、「飛行機も列車の音も嫌いだ。あれでリズムが狂った。やりずらい」と一気にまくし立て、さすがにまずいと思ったのか、最後に「まあ、言い訳ですけどね」と反省していた。
 それだけではない。ここ一番の勝負どころでは、じっくり時間をかけるフィル・ミケルソン選手と次の日プレーすることがわかると、「リズムが合わなくてやりにくい」と同じ組でプレーすることを嫌っていた。
 以前、自分のプレーが思うようにいかないコースを罵倒して罰金を取られたこともある丸山選手。今も昔も言い訳のオンパレードだ。ジャンボ尾崎選手も全英オープンを毛嫌いしていた。その理由は、「雨と風と寒さがいやだし、コースも自分に合わな
い」とのこと。 これでは、戦わずして負けており、コースや同伴競技者に対しても非礼この上ない。
 言い訳は、事前と事後の2種類ある。前者はアマチュアに多い。「昨日徹夜でね。
寝てないんだ」「飲み過ぎちゃって。まだ二日酔いだよ」これは結果が悪かったときのことを想定した事前の予防線。後者はプロ選手などに見られる一種の八つ当たり。
自分の未熟さを棚に上げての責任転嫁である。
 どちらにも共通するのは、自信のなさと精神的な弱さだ。そして傲慢さでもある。
「自分は本来こんなものではないのだが、○○のせいで思うようにいかなっかった」
という心理が心の中にある。つまり、現実からの逃避に他ならない。
 しかし、本人が言い訳をすればするほど、周囲はそれを見透かしている。取るに足らない相手であることを自ら暴露しているのだ。言い訳は人として恥であり、マナーとしても最低である。
 世界で活躍し、日本中のファンの期待を背負っている丸山選手だけに残念でならない。 この精神的なものが克服されたとき、彼のプレーが本物になり、栄光を手にできるのではないか。

カモ井加工紙株式会社
鴨井尚志

2004/8/5

こんにちは、鴨井です。
昨日総務広報委員会を中心に、テーブルマナーの講習があったようですが、いかがでしたか?
マナーについて、面白い文章がありましたので、皆さんにご紹介します。
 マナーという言葉を聴くと、何か特別なものを感じて背筋を伸ばしてしまう人が多いように思います。
しかし、マナーに分類があるわけではなく、社会生活と総て共通しているものです。
人間がお互い気持ちよく生活していくための知恵がマナーであり、それは万国共通のものです。
 マナーの根源はキリスト教文化に示されているらしく、新約聖書の中に「何事も自分がして欲しいことを、人にもしてあげなさい」という一説があります。これがマナーの発祥だそうで、特別難しいことを言っているわけではありません。
 日常生活にたとえればわかりやすいでしょう。会社に出勤したときに、明るい声で「オハヨウゴザイマス」と挨拶されると、その日が爽やかになります。仕事の相手に丁寧に誠実に対応されたら誰でも気持ちがいいものです。つまり、自分が気持ちいいと感じたことは、他人も同じなのです。そういう気持ちで過ごせば、人間関係はスムーズに行きます。
 また、論語の中で孔子は「己の欲せざるところは、人に施すなかれ」と言っています。これは、前述の新約聖書とは相対的な言葉で、自分が嫌だと思うことは他人にしてはいけないという教えです。
 静かなレストランの中で某弱無人に騒がれては誰でも不愉快になりますし、みんながくつろいでいる美しい公園にゴミやタバコの吸殻をポイ捨てされたらいやな気持ちになります。だったら自分もそれをやらないことです。人が気持ちよく過ごすための
ルールがマナーです。
 洋の東西を問わず、キリスト教文化も論語の教えも、それらの言葉の背景にあるのは、他人への思いやり、気遣いです。
 肩肘張ることなく人間として当たり前のことをする。それが「マナー」です。                            
                以上
カモ井加工紙株式会社
鴨井尚志

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