「ダイエー崩壊」について書かれた書物の概略を知人からメールでいただきました。
規模の大小を問わず、教訓に満ちた内容なので、皆さんに紹介したいと思います。

「ダイエーの蹉跌-企業参謀の告白」 田畑俊明著 日経BP社   
1.ダイエー崩壊、9つの罪悪と悲劇   
2.なぜ営業力が回復しないのか   
3.答えは、今やっていることの逆にある
足掛け10余年にわたる営業不振を続けながら、それでもブレーキを持たない拡大に身を投じたダイエーは、2兆 6,000億円という多額の負債を抱え、2000年10月から11月にかけて、実質倒産の状況に陥った。 その再建の任を受け8年ぶりにリクルートから復社した高木邦夫を社長とする新体制は、中内功をはじめとする旧経営陣を一掃、合理化による負債削減と営業力回復の構想を立てて、2001年1月、自主再建の道を歩み始めた。 その新体制の中に、営業統括として10年ぶりにダイエーに復帰した、平山敞副社長の名があった。営業力回復の切り札として、高木社長から強い要請を受けての就任だった。再び、平山副社長の下で2年間にわたりダイエーの再建に腐心した私が感じたことは、この2年間、ダイエーは本当に再建企業としての自覚と危機感を持って変革を進めてきたのかという疑問だった。この執行体制は、旧体制の尻尾にすぎない。これは再建ではなく延命である。ここに来て、時計の針は逆回りしている。これが復帰後の2年間の体験から得た結論だった。
 2001年1月、高木新体制がスタートし、2月末には、新しい営業方針が確認された。そのとき、私はシナリオプランナーとして、元気な店舗再生、元気なコスト再生、元気な人と組織再生のために、「元気・500 」と名前をつけたシナリオを準備した。しかし、このシナリオは、高いポテンシャルを持ちながら、結局、信頼感の醸成を伴って組織と社員の中で共有されることはなかった。
 シナリオプランナーとしてトップボードへの影響力が十分でなく、力量不足、根気ある提案の努力不足があったことは否めないが、決定権、執行権、人事権などを持たないスタッフでは限界があったという実感が強い。だが、いかなるスタッフも、シナリオも、提言も、諫言も、トップの資質と度量と器次第で生きもするし、死にもする。
 ダイエーの再建は、本当の企業再生を意図するものではなく、再建という名の延命作業でしかなかった。本来、再生のためにやらねばならない、旧体制の破壊や未体験の領域に足を踏み入れるような、これまでにない物事の決断と決行などに伴うリスクを極力避けようとする空気が支配した。現状維持の中で、回収できるものは回収しようとする債権者側の意図、またその意に追従するマネジメントの姿勢にすべての責任があったといえよう。
店長や各売り場のマネジャーなど 4,000人を超える店の管理職の中には、素晴らしい仕事をする人材が1割から2割はいた。だが、それが組織の中でひとつの固まりにならない。それぞれが孤独な戦いにとどまっており、ややもすると従順な羊になり、火を吹くようなエネルギーのうねりにならない。
 どんなに優れたシナリオも、主役がそこに打ち込んでいるテーマを理解しなければ、そして踊らなければ、その価値は無と化す。
 2001年1月、高木新体制がスタートしたが、その時点から2年余り、ダイエーで育ち、過去の古いダイエーの血と DNAを持った50歳から60歳前後の人たちが経営ボードのメンバーとして存在し続けていた。一度はダイエーを退社、外から戻った人もいたが、いずれも過去のダイエー内での成功体験者であり、破壊と新たな創造、深層にある病巣にメスを入れる素質はなかった。
銀行からの出向者もいたが、改革の先頭に立つわけではなく、お目付け役であり、せっかくの異質が改革に活かされることはない。何度か組織の変更を試みたが、結局は同質同類的な編成の枠を超えることはなかった。本当の意味での改革推進を彷彿とさせるような人材が導入されたり、登用されたりすることはなかった。
一度おかしくなった企業は、おしなべて、人件費の削減には力を入れるものの、それ以外のコストをザルのように垂れ流しているケースが多い。ダイエーでいえば、商品投資は全コストの 60%から 70%に達する。仕入れ
から販売までの商品管理のプロセスで発生している無駄とロスは、人件費の削減で手にする利益をはるかに凌ぐ。
 例えば、情報システム。膨大な投資をし、毎年毎年、数十億円のランニングコストを投入しているにもかかわらず、業務改革には手をつけない。無駄なペーパー資料や、報告のための報告書は一向に減らない。逆に増加する。
遠方にいる高い給料の管理職を、本社の会議に召集し、議論もしない、言うべきことも言わない、おかしいことをおかしいとも言わない。差し障りのないシャンシャン会議。報告を聞くだけで今後のアクションにつながる決定もしない会議。それが、週に2度、3度、1日中行われる。
 品揃えにしても、一応何でもあるが、欲しい商品、求める商品がない。食品売り場にしても、衣料品売り場にしても、日用品やインテリア売り場にしても、非日常的な、こだわりを持った、異質な、新しいニーズを持ったお客に応えられるような商品がほとんどない。売り場は、わざわざダイエーに足を運ぶに値する価値、感動、魅力に欠けていた。アンケートで集められるお客の声も、当たり前のこととして、問題にされない。時にトップが出席する営業会議で、担当セクションからその実態についての調査結果が報告されても、これを真剣に受け止め、前向きな論議に発展することはない。大変なエネルギーとコストをかけて得た情報が、「報告のための報告」作業と化している。ダイエーを崩壊に導いた罪悪と悲劇を9つにまとめてみた。1.変えないことは罪悪である2.変革を妨害するパワーの温存は罪悪である3.うそ、隠し事、ごまかしは罪悪である4.魂のない再建計画に明日はない5.現場に立たないトップに価値はない6.局地戦に勝てない戦いは敗北である7.共産主義的平等は罪悪である8.方針の丸投げと放置は罪悪である9.真の改革者不在の再建は悲劇である 自らが作ってきた仕組みを自らが崩すことは、並の人間にできることではない。忘れることのできない苦労と努力があり、それなりの達成感と勝ちの喜びを持っている当人にとっては、それらが自身の中で貴重な財産になっている。過去の栄光は美しくもある。 勝海舟は、幕末の動乱期の諸藩の興亡を見て、「忠義の士、国を潰す」と言った。守りたい一念が、潮の流れ、風の向き、空模様の変化を見る目を曇らせ、守るつもりが逆に崩壊を早めることを意味する。 ダイエーの抱える課題の根深さを前提にすれば、トップの人選は、外部に求めるべきだった。けっして過去実力者であったOBであってはならない。 コメント: 仲間意識、身内主義が支配するわが国の企業や社会では、外部から力のある人間を連れてくるということには、ほとんどの場合、絶望的である。また外部の人間をリーダーに選んでも、協力が得られず、浮いた存在になってしまう危険も多い。内部に問題があればあるほど、外部にそれを知られたくないという思いもある。それが隠蔽体質を生む。ダイエーのことを他人ごとと笑えないのではないだろうか。日本人にかぎらないが、民族の体質を急に変えるということは容易でないことがわかる。
カモ井加工紙株式会社
鴨井尚志