「仕事」に恵まれないと嘆く者よ、職に恵まれず、職があっても長続きせず、仕事が面白くないと日々嘆く者よ。
お前の毎日に喜びはなく、充実感とは無縁の生活であろう。しかしながら、お前の嘆きは、「私は責任感がなく、常に失敗を恐れ、自分で物事を決めることができない、臆病な人間です」としか私の耳には聞こえない。
お前の頭の中に、「責任」「意志」と言う文字はあるか。私の知る限り、強い意志なき者が、大成した例など、ただの一つも見たことがない。
お前は、責任感を持ち仕事を行なったことがあるか。自分でやりたいことを決める意志を持ち、そのことに責任を持つ勇気があるか。いや、お前は、自分の人生そのものに責任のある言動を取っているか。いないであろう。
生きることに責任感のないお前に、まともな仕事のできるはずがなく、まともな仕事ができなくば面白みもなく、長く継続できることもない。何をやってもつまらなく、達成感など無縁であろう。
愚か者よ、お前は親を頼り、人を頼り、成り行きに身を任せ、わが身の保身ばかり考え、失敗をした時は、自分の決めたことではないと逃げ隠れる。臆病で、自分の意思なく、自分の行なう事に責任を持とうとしない。言葉でさえ、無責任なことであろう。
愚か者よ、臆病な人間にとって「責任」という言葉は、とても恐怖に感ずるであろう。しかし、常勝者にとって、「責任」とは、希望と力と喜びであることをお前は知らない。喜びと勝利を得たくば、まずは己の言葉に責任を持ってみよ。自分の意志を発揮し、人に頼ることなく、勇気を見せてみよ。
天職など天から降ることはない。お前が仕事を選び、創造し、そして行なうのだ。責任感と強い意志こそが、その源であることを忘れるな。「仕事」に恵まれないと嘆く愚か者に捧ぐ。
今回のウィスラー卿の教訓は、仕事は与えられるもの、何か天職のようなものがあって、それが自分に与えられていない、だから不遇である、と考える甘い心を戒めています。自分は何がしたいのか、何をどうするのか、問題解決を自分自身で行ない、そして責任を持って仕事をする、あるいは人生を送ることによって大きな感動と喜びを得ることができる。仕事も人生も自分自身が選び作るもの、自分が行なうものであるとウィスラー卿は説いています。
天職とは、えてして与えられるもの、もしくはめぐり合えるもののように捉えられがちですが、教訓にあるように「天職など天から降ることはない」のです。職種や仕事の内容によって、向き不向きがあることは確かです。しかしそれは、自分の特色を充分に生かしきれていない途中経過であって、最終結論ではありません。現実に、吃音症で営業成績トップのセールスマンが存在し、小柄でもバスケットボールのトッププレーヤーがいます。
今自分が関わっている仕事を自分の感性と努力によって天職にする気概を持ってことにあたらなければ、「天職」どころか「転職」の人生になりかねません。

カモ井加工紙株式会社

鴨井尚志