堂々と「鬼」社員で生きぬけ!   11月29日講師

     染谷和巳著P28抜粋紹介 倉敷市立中央図書館 159.4

地位は社員でも、気構えは社長

「工場を買うよりも、この男を買いたい」

 若い営業マンがいつものように商談を持ち込んできた。社長は以前からこの営業マンに目をかけてきた。話していて気持ちがいい。明るい声、要点を押さえた話し振り、質問にテキパキ答える。頭の回転の良さに好感を抱いていた。
「東京にこれこれの工場がある。東京進出をはかる御社には“渡りに舟”のいい話である。ぜひ買い取って欲しい。」これが営業マンの要件であった。
 営業マンの話しぶりは熱意にあふれ説得力があった。社長は話に引き込まれた。確かに自社の今後の発展にとって魅力的な話である。社長は決断した。
「わかりました。いい話だと思います。ただし工場買取りには一つ条件があります。」
 営業マンは身を乗り出して社長の言葉を待った。
「うちも今、拡張の途上で人がおりません。責任者がいないのです。だから貴方がうちの社員になって、その工場の経営と管理をしてください。これが条件です。」
営業マンは即座に答えた。
「申し訳ありませんが、その条件はお受けするわけにはいきません。私は社長ですから。今の会社を辞めるわけにはいかないのです。」
「えっ、君、社長なの? 営業部の社員ではなかったのですか。確か名刺には・・・。」
「いや、身分は社員ですが、私の心持はいつでも社長です。社長が自分の会社を捨てて他の会社へ行くことは出来ません。」
真面目な顔で言うので社長はその顔をまじまじと見た。それが法螺(ほら)だとわかり社長は
「はっはっはっはっはっはっはっはっはっ」と笑った。営業マンもつられて笑った。
ひとしきり笑ったあと、社長は真剣に思い始めた。“その工場を買うよりも、この男を買いたい”と。
社長は誠実で義理堅い人物として通っていた。「いくら人が足りなくても、よその会社の社員を引き抜くことはしてはならない。道義にもとる。」と幹部に言い含めていた。それでもこの男が欲しい・・・。
「私は社長です。」としゃあしゃあと言う男に社長は惚(ほ)れた。
「よし、きちんと筋を通して堂々ともらい受けよう。」
工場の売買契約を済ませた後、社長はある有力者に男の引抜を依頼した。有力者は先方の経営者に頼み込んだ。
先方の経営者は「あの社員はやれん。何と言われてもやれん。」と断った。男は営業の柱であり、近い将来経営幹部になることが約束されている人物である。「そんな人材を、はいどうぞとあなたなら出しますか。転職は自由だが、本人も行く気はないと
言っている。あきらめてください。」とにべもない。
普通ならこれでオシマイになる話だが、それがオシマイにならなかった。
仲介をした有力者は依頼主の社長をよく知っていた。その経営手腕と人間としての器の大きさに敬服していた。人の引き抜きをたのむような人ではない。その社長が頭を低くして真剣に頼んできた。これは余程のことだ。「だめでした。」では済まない。
期待に応えなければならない・・・。先方の会社に日参した。「この移籍は本人だけでなく、いずれあなたの会社にとっても大きい利益になる。目先の損にとらわれず将来の得を考えてほしい。」と。何度も先方の経営者を掻(か)き口説いた。
 熱意は通じた。
「うちとしては放しがたい社員だけれども、先方の会社に差し上げましょう。」
営業マンは移籍した。社長の会社に入り、やがて3百人の部下を持つ営業部長になった。

「一つ上のポストになったつもりで」
 この話は『社員稼業』という本に紹介されている実話である。社長とは、松下電器産業の創業者であり「経営の神様」と言われた、故松下幸之助氏である。
さて、営業マンが自社の社長だけでなく、経営の神様にも、そして移籍の仲介をしてくれた某有力者にも高く評価されていたのは何故か?。
何故でしょう
営業マンが松下氏に東京の工場を売り込みに来た頃は、不動産会社の課長補佐にすぎなかったという。だが営業マンは、自分は社員でも課長補佐でもなく社長だ、という気構えで仕事をしていた。
“一つ上のポストについたつもりで仕事をしろ。”という教えがある。係長なら課長、課長なら部長になったつもりで仕事をする。それだけで、ものの見方や考え方が変わってくる。視野が広くなる。判断力が鋭くなり、責任感が強くなる。組織や全体
を優先して考える習性が身につく。人やモノやカネの動きに敏感になる。つまり経営感覚が磨かれるのである。“一つ上のポストについたつもり。”は、私たちを成長させる優れた思考訓練法である。
営業マンは課長補佐だったが、部長も常務も専務も通り越して、自分は社長だという気構えを持っていた。その気構えが自信と迫力と年に似合わぬ重厚な存在感を作り出した。それが一流の経営者の琴線に触れたのではないだろうか。
松下幸之助氏は言っている。
「自分は単なる会社の一社員ではなく、社員という独立した事業を営む主人公であり経営者である。自分は社員稼業の店主であるというように考えてみてはどうか。そういう考えに立って、この自分の店をどう発展させていくかということに創意工夫をこ
らして取り組んでいく。そうすれば、単に月給をもらって働いているといったサラリーマン根性に終わる様なこともなく、日々生きがいを感じつつ、愉快に働くことができるようになるのではないか。」

3百人の部下を持つ営業部長の後日談。。
昭和二十年の敗戦後、財閥解体が行われた。松下電器も大幅な事業縮小を強いられた。多くの人が不本意にも会社を去り、職を失った。営業部長もその一人であった。
「身を引いて別の商売をする」と松下社長に申し出た。それに対して松下社長は「松下電器はこの先どうなるかわからない。志ある者はこの際、志を立てなければならない。君の志をぼくは受け入れよう。君は必ず成功する。」と答え、あたたかく送り出
したという。営業部長は独立し、今度は本当に会社の社長となって、松下社長の惜しみないバックアップもあって、成功への道を歩み続け、日本の高度経済成長の推進役を務め、経済界の重鎮(じゅうちん)となったのであった。