永六輔氏のラジオ番組に、一通の手紙が届き、そのことがあれこれと議論されているそうです。
ある小学校で母親が申し入れをしました。「給食の時間に、うちの子には『いただきます』と言わせないでほしい。給食費をちゃんと払っているんだから、言わなくていいではないか」との内容です。
番組には、数十通の反響があり、多くは申し入れに否定的だった一方、母親のような考え方は必ずしも珍しくないことを示す経験談もあったようです。
次に、永氏への質問とその受け答えを記します。
Q.「給食費を払っている」という理由について、どう感じましたか?
永氏 :
学校給食で「いただきます」を言うことへの抵抗は、以前からありました。それは、両手を合わせる姿が特定の宗教行為、つまり仏教に結びつかないか、という懸念です。宗教的なことを押し付けるのは僕も良くないと思います。でも「いただきます」という言葉は、宗教に関係していません。
自然の世界と人間のお付き合いの問題です。
「お金を払っているから、いただきますと言わせないで」というのは、最近の話です。命でなく、お金に手を合わせちゃう。会社を売り買いするIT企業や投資ファンドにも共通点があると思います。
話の発端になった母親は「いただきます」を言うかどうかを、物事を売る、買うという観点で決めているのでしょうね。売り買いはビジネスですから、そこに「ありがとう」という言葉は入ってきません。「ありがとう」に準ずる「いただきます」も入ってこない。ただ、そういう母親がいることも、認めないといけないと思います。
Q.永さんは、どういう意味合いで「いただきます」を?
永氏:
「あなたの命を私の命にさせていただきます」の、いただきます。でも僕は普段、家では言ったり言わなかったり。ましてや、他人には強制しません。絶対言わなきゃいけないとは思いません。
きちんと残さないで食べれば、「いただきます」と言って残すより、いいと思うんです。
貧しい国には飢えて死んでいる人がいる。日本で残して捨てているご飯があれば、助かる子供たちがいっぱいいるわけでしょう。 食べ物を大事にできているかどうか。 言わないのが「ひどい」と反対することではない、と思います。
以前ある学校の先生が仰っていました。
保護者面談をするので、親へ日時を連絡したところ、「私はその時間、仕事です。学校が面談の時間分の時給を支払ってくれるなら、面談に行きます」と言われたそうです。
価値観の相違とは、こんなものなのでしょうか?