世界柔道選手権が閉幕しました。日本選手の活躍は皆さん既にご存知のとおりですが、多くの選手が試合後のインタビューに対して話す言葉の中に「あれっ?」と思うことがありました。これは勝った選手からも、敗れた選手からも聞かれたことですが、「今まで勝つためにすべてをかけて頑張ってきた」という言葉です。オリンピックのときも聞きました。
2年あるいは4年に一度の大会ですから、各選手のメダルに対する執着心は相当なものだと容易に推察します。
記録への挑戦、ライバルとの駆け引き、自分との戦いは、あらゆる競技の醍醐味であり、我々に多くの感動を与えてくれます。勝者であれ、敗者であれ、全力を尽くした選手たちが流す喜びと悔しさの涙は見るものの心を震わせ、人であることの素晴らしさを教えてくれます。
さて、去年のアテネ・オリンピックで、女子柔道78キロ級の金メダルを獲得した阿武選手を皆さん覚えていますか?彼女は世界選手権4連覇、全日本柔道選手権12連覇、福岡国際女子柔道でも8度優勝しています。しかし、五輪のメダルだけは縁がありませんでした。アトランタとシドニー五輪は初戦敗退です。
「日本柔道の七不思議」とまで言われていた彼女が、アテネでやっとその殻を突き破りました。
4年に一度の大会というだけで自分を追い込み過ぎていた彼女は、徹底的に自分の柔道を分析しました。
そのときの彼女の目標は、金メダル獲得ではなく、「自分の柔道」を完成させることになっていたそうです。
スポーツ、特に柔道は勝つことがすべてではなく、己の心・技・体を磨くためという本来の姿があると思います。「柔道の本家の面目を保つ」とは試合に勝つことだけでしょうか。メダルの数で決まるものでしょうか。
柔道が競技スポーツになったとき、柔道本来の目的と魅力がなくなってしまった気がします。
幸いにも勝ってメダルを手にした選手が「今日は勝ててよかったです。これで明日からまた自分の目指すやわらの道に精進できます」と言ってくれたとしたら、これほどさわやかな勝利はないでしょう。
「いかにして勝つか」「どうやって相手を倒すか」といった技術や手段に埋没してしまう前に、「何をしたいのか」「何故やるのか」といった根源的な情熱の大切さを忘れないようにしたいものです。
人は何故、橋を架けるのか?対岸に何かあるからです。丈夫で美しい橋を架けること、上手に橋を架けることも確かに大切かもしれませんが、橋が架かった時に当初の目的を見失ってしまい、完成した橋を見て満足していてはいけないことに我々も気づかなければなりません。
鴨井尚志