平成16年度会長鴨井氏がメーリングリストに流した「ちょっといい話」を集めてみました。

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2004/9/24

鴨井です。
お彼岸も過ぎ、青年部の活動も一年の半分を経過しようとしていますが、皆様におかれましては如何お過ごしでしょうか?
中村会長の強いリーダーシップの下に、今までとは違った青年部が歩を進めていることを恐らく皆さん実感されていると思います。
先日日経ビジネスの中にアサヒビールの社長が次のようなことをコメントしていました。
「物事は、変える勇気と変えない勇気が必要だ。変わることを意識すればするほど、本当に変えてはいけないコアの部分が見えてくる」
「変わる」ことを意識しすぎるあまり、肝心なものまで置き去りにしてしまうことってよくありますよね。
中村会長が色々なことを我々にぶつけてくれるのは、まさに青年部のコア(原点)を見つめ直せとの呼びかけに他ならないのかもしれません。
残り半分を皆さんで大いに盛り上げて、我々の原点を再確認しましょう!
さて、そろそろ皆さんの会社でも来春の新卒採用の活動が始まっていると思います。
弊社でも先般高校生の面接がありました。
その内の一人は、極度の緊張からか三交替勤務のことを「参勤交代」と間違える人もいました。(ウチは大名ではない!!)
小生も笑うに笑えず、間違いを指摘することもできない瞬間でした。
そうこうしているとき、ある記事が目に入ったので、皆さんに紹介しておきます。面接のとき使えまっせ。
「この結果は、お前への評価ではない。お前を育てた両親へのプレゼントだ」
今年で、勤めて十二年になる、私の会社の社長に、入社面接の内定をいただいた際に言われた言葉です。
面接時に聞かれがちの”会社を選んだ理由”や”自分の長所は?”などとは一言も聞かれず、社長が私に問いかけたのは”お前のお父さんはどんな人だ?””お父さんの趣味は何だ?”など家族のことばかりでした。
そして一時間もの間、家族の話をした後、その場で内定をくださり、この言葉をくださいました。
この内定の評価は今まで、私を育ててくれた両親へのものであり、私自身への評価は、入社後に自分でつくっていきなさい…という事でした。
何年働いても、私の評価はまだまだ出ませんので、今でもこの言葉が私の支えです。

カモ井加工紙株式会社
鴨井尚志

2004/9/15

鴨井です。

ある雑誌のコラムに載っていた文章を紹介します。
「言い訳」がテーマですが、自分にも思い当たる節があり、読んでいてドキッとしました。
言い訳を列挙していると、やがて「できない」という信念を自分に植えつけてしまう恐れがあります。
皆さん、ご注意を!

 訊かれてもいない言い訳をすることほど見苦しいことはない。今年7月に行なわれたゴルフ全英オープンで、30位の不本意な成績に終わった丸山茂樹プロは、その典型であった。
 試合が行なわれたロイヤルトルーンは飛行場の近くにあり、おまけにコース内を列車が通るという特異な環境にある。選手がプレー中であろうと飛行機が飛び、列車が走り、その音がプレーの妨げとなることもしばしばである。
 丸山選手は二日目、この飛行機の爆音でショットを曲げ、リズムを崩した。また、パッティングの最中に列車が通り、これもプレーに影響した。ショットを曲げた瞬間、飛行機をにらみ、列車の音で顔をしかめていた。
 試合後のインタビューでは、「飛行機も列車の音も嫌いだ。あれでリズムが狂った。やりずらい」と一気にまくし立て、さすがにまずいと思ったのか、最後に「まあ、言い訳ですけどね」と反省していた。
 それだけではない。ここ一番の勝負どころでは、じっくり時間をかけるフィル・ミケルソン選手と次の日プレーすることがわかると、「リズムが合わなくてやりにくい」と同じ組でプレーすることを嫌っていた。
 以前、自分のプレーが思うようにいかないコースを罵倒して罰金を取られたこともある丸山選手。今も昔も言い訳のオンパレードだ。ジャンボ尾崎選手も全英オープンを毛嫌いしていた。その理由は、「雨と風と寒さがいやだし、コースも自分に合わな
い」とのこと。 これでは、戦わずして負けており、コースや同伴競技者に対しても非礼この上ない。
 言い訳は、事前と事後の2種類ある。前者はアマチュアに多い。「昨日徹夜でね。
寝てないんだ」「飲み過ぎちゃって。まだ二日酔いだよ」これは結果が悪かったときのことを想定した事前の予防線。後者はプロ選手などに見られる一種の八つ当たり。
自分の未熟さを棚に上げての責任転嫁である。
 どちらにも共通するのは、自信のなさと精神的な弱さだ。そして傲慢さでもある。
「自分は本来こんなものではないのだが、○○のせいで思うようにいかなっかった」
という心理が心の中にある。つまり、現実からの逃避に他ならない。
 しかし、本人が言い訳をすればするほど、周囲はそれを見透かしている。取るに足らない相手であることを自ら暴露しているのだ。言い訳は人として恥であり、マナーとしても最低である。
 世界で活躍し、日本中のファンの期待を背負っている丸山選手だけに残念でならない。 この精神的なものが克服されたとき、彼のプレーが本物になり、栄光を手にできるのではないか。

カモ井加工紙株式会社
鴨井尚志

2004/8/5

こんにちは、鴨井です。
昨日総務広報委員会を中心に、テーブルマナーの講習があったようですが、いかがでしたか?
マナーについて、面白い文章がありましたので、皆さんにご紹介します。
 マナーという言葉を聴くと、何か特別なものを感じて背筋を伸ばしてしまう人が多いように思います。
しかし、マナーに分類があるわけではなく、社会生活と総て共通しているものです。
人間がお互い気持ちよく生活していくための知恵がマナーであり、それは万国共通のものです。
 マナーの根源はキリスト教文化に示されているらしく、新約聖書の中に「何事も自分がして欲しいことを、人にもしてあげなさい」という一説があります。これがマナーの発祥だそうで、特別難しいことを言っているわけではありません。
 日常生活にたとえればわかりやすいでしょう。会社に出勤したときに、明るい声で「オハヨウゴザイマス」と挨拶されると、その日が爽やかになります。仕事の相手に丁寧に誠実に対応されたら誰でも気持ちがいいものです。つまり、自分が気持ちいいと感じたことは、他人も同じなのです。そういう気持ちで過ごせば、人間関係はスムーズに行きます。
 また、論語の中で孔子は「己の欲せざるところは、人に施すなかれ」と言っています。これは、前述の新約聖書とは相対的な言葉で、自分が嫌だと思うことは他人にしてはいけないという教えです。
 静かなレストランの中で某弱無人に騒がれては誰でも不愉快になりますし、みんながくつろいでいる美しい公園にゴミやタバコの吸殻をポイ捨てされたらいやな気持ちになります。だったら自分もそれをやらないことです。人が気持ちよく過ごすための
ルールがマナーです。
 洋の東西を問わず、キリスト教文化も論語の教えも、それらの言葉の背景にあるのは、他人への思いやり、気遣いです。
 肩肘張ることなく人間として当たり前のことをする。それが「マナー」です。                            
                以上
カモ井加工紙株式会社
鴨井尚志