平成18年度会長鴨井氏がメーリングリストに流した「ちょっといい話」を集めてみました。
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2007/3/30「・・・」ある村に正直者の兄弟がいました。ある日、ロバに野菜を積んで町へ売りに行きました。夕方も近くなる頃、野菜が全部売れたので、兄弟は村を目指して帰路につきました。 しばらくすると、一人の旅人とすれ違いました。旅人は「なんと要領の悪い兄弟だ。ロバに何も積まないのなら、だれかロバに乗ればいいのに」。言われてみるとその通りです。「お兄ちゃんから乗りなよ」。兄がまずロバに乗って道を進めました。 二人目の旅人と行きあいました。「兄のくせに、まだ年端もいかない弟を歩かせるなんて、愛情のないヤツだ」。兄は急いでロバから降りると「今度はお前が乗れよ」といいながら、これなら文句はあるまいと手綱を引いて歩き出しました。 三人目の旅人と出会いました。「弟のくせに、えらそうにロバなどに乗りおって、年上の者を敬う気持ちはないのか」。弟は恥ずかしそうにロバから降りて、兄弟で相談をしました。 「そうだ、二人一緒に乗れば、文句を言われることはないだろう」。二人がロバに乗って日暮れの道を村へ向かい始めました。 四人目の旅人がやってきました。今度は何も言われまいと思っていたら、「小さなロバに二人も乗りおって、動物がかわいそうだとは思わんのか」。兄弟は思惑がはずれました。恥ずかしそうにロバから降りて、どうしようかと考えました。 ・ロバに何も積まないで歩いていると、もったいないという。 ・ロバに兄が乗ると、弟思いではないという。 ・弟がロバに乗ると、年長者を敬わないという。 ・二人で乗ると、動物をいじめているという。 残された道はただひとつ。兄弟はロバを担いで歩きだしました。 というお話があります。皆さんはこの話をどのように捉えますか? 他人の言われるままに行動を変える、主体性のない兄弟だと思いますか?自分たちの考え方さえしっかり持っていれば、誰がなんと言おうと気にしなければ良いかもしれません。 事情も知らない旅人に何か言われたら、過去のいきさつについて一言言い返してやればいいのに…、自分なりの生き方をしっかり持って、あまり周囲の目を気にしないで生きた方が良いのに…と思った方もいるでしょう。 一方、周囲の意見は貴重なものだから、兄弟のように人の話に耳を貸して、実行してみることも良いことだ。さらに別の意見があれば、それも聞いて、考えることは大切なことだと感じる方もいると思います。 また、事情もわからないで人のことについてとやかく言わないことが賢明だという感想の方もいれば、反対に、事情を知らないから当人には気づかない意見が出てくるものだと思う方もいるはずです。 どの意見も間違いではありません。色々な意見があって当然ですし、意見がたくさんあれば、ものの見方が広がることもあります。ただ、注意しなければならないことがあります。自分の考え方、生き方をしっかり持った上で人の意見を聞くことと、方向性が合っているなら「自分と違う意見の人を敵だ」と思わないことです。 青年部の活動も、共通の目的に向かって達成意欲を失くさなければ、多くの意見の中、その時々で正しい答は出てくると思います。 長い間、お付き合いいただき、有難うございました。 中村会長時代、青年部の情報交換をできるだけ早く確実に行なうために、このMLが立ち上げられました。活発な意見のやり取りをすることによって、お互いを知り、青年部の価値感を共有できるようにとの願いからです。 MLは便利な道具ですが、使い方次第です。皆さんで育ててください。 |
2007/3/29「人生2メートル」ある記事によりますと、手作り絵本講師の木原さんという方は、学校へ講演に出向く際、長さ2メートルのロープを持参するとか。 人生80年と見立て、児童・生徒の年齢の所に印を付けておきます。小学6年ならロープの端の方をつまませ「今、あなたたちは人生のこの辺よ」と話します。 さらに2メートルを1日24時間に例え、「6年生なら、午前3時半ごろよ」と言います。すると、子供たちは先の長い人生への希望で、明るい表情になるそうです。 大学生でも反応は同じらしく、「21歳は、午前6時ごろよ」と言うと、ある学生は「冬ならまだ真っ暗。『分からない、出来ない』は当たり前かも。就職に対して不安があったが、何か楽になった」と答えたとのこと。 ニートやフリーターの若者への風当たりが強くなっています。大人は問題視しますが、木原さん流に言うと、彼らの人生はまだ「朝」です。4月には、多くの若い人が社会に出ます。皆さん、若い子の面倒見ていますか? 仕事で力になってあげていますか? この話を弊社でしたところ、年配の社員が「オレは年寄りだから、ロープの残りがない。先が見えている」と落ち込んでしまいました。もしどこかで話す機会があるときは、充分ご配慮を! |
2007/3/29「したたかな商売」ファストフードの代表的な存在であるハンバーガーショップ。この商売のやり方を少し角度を変えて見ると、面白いことに気がつきます。 我々購買者は、先ずお店に自ら出向きます。そして行列に並び文句も言わずに自分の番を待ちます。自分の番が来ると、注文をして現金を払います。前払いです。注文したものが出てくると今度は、自分で座る場所を確保しなければなりません。更に食事を終えると自分で後片付けまでしてしまう。とどめは、友達や知り合いに「今度の新商品美味しかったよ!」と宣伝までしてしまうのです。 ここまで店の言いなりになっているにもかかわらず、今まで「たまには出前をしろ!」とか「後片付けは店員がやれ!」といった苦情を聞いたことがありません。完全に店側の術中にはまってしまっています。 顧客をここまでこき使うサービス業が他にあるでしょうか?顧客をこき使い、文句も苦情も出ないハンバーガーショップの手法は、究極の商売といえるでしょう。 何か商売のヒントが隠されているような気がしません? |
2007/3/28コーヒーブレイク 「マラソンの行く末」「最近のマラソンは、ペースメーカーの出現で前半に動きがなく、面白くない」という声を聞きました。 マラソンの有名なエピソードと言えば、「紀元前の昔、マラトンに上陸したペルシャ軍をアテネ軍が撃退し、その勝利をアテネに伝えるため、一人の男が野を越え、山を越えて駆け続け、そして待ち構えていた市民に『我らは勝てり』と告げて絶命。勇敢な行為を伝えるこの故事が基になって、近代オリンピックでマラソンが誕生した」と記憶しています。 競技環境の進歩(整備)?と引き換えに、マラソンは「野性」を失ってしまったのでしょうか?細かな距離表示、記録の出やすいコース設定、選手個々の専用スペシャルドリンク等々、極めつけがペースメーカーです。好記録誕生の可能性を高める演出により、毎回決まったレースパターンが繰り返されているという指摘に、つい頷いてしまいます。 独自のチャレンジ精神が希薄になってしまうと、速い選手は作れても、強い選手は現れないと思うのですが…。 今のマラソンが、おもちゃのウサギを追いかけて犬が疾走するドッグレースにならないよう願っています。 |
2007/3/27「成功体験」ある著名な経営者は、「ノウハウ本は読むな。ノウハウ本やハウツー本の類は、過去の成功体験に基づいているからだ」と言っています。 成功体験とは、その当事者はもちろん、それを聞いた人にとっても、非常に心地のよいハッピーなものです。そのため、成功体験という「過去」に縛られてしまい、難局になればなるほど昔の成功を思い出して、もう一度同じことをしてしまいます。 過去の成功体験から抜け切れない人間は、顧客や市場の変化に対応しにくくなります。そして一番の問題は、当の本人がそれに気づいていないことです。 こんな言葉もあります。 「過去の経験を重視して、その延長線上で物事を考えることは、一見手堅いようだが、まるでバックミラーを見ながら前方に車を走らせるようなものだ」。 とはいっても、つい魅力的な題名に惹かれて、ノウハウ本に手が伸びてしまうのが人情というヤツで・・・。 |
2007/3/26「リスクコントロール」先週から高校野球とプロ野球が始まりました。球春到来です。 かつて西武ライオンズが常勝軍団であったとき、チームを率いた知将森監督は、当時の四番バッターである清原選手にもバントの練習をさせていたとのこと。 通常、チームのクリーンアップにバントをさせることは、考えられません。しかし、森監督は、年間500回を超える打席数の中で、一度でもバントをする可能性があるならば、練習をしておくのは当たり前だと考えます。 「いざ!」というときはそう滅多にないのでしょうが、稀に訪れる「いざ!」のときこそ、失敗は許されません。 さらに、森監督は、勝ったときの反省を欠かさなかったとも聞きます。負けたときは誰しも反省しますが、勝ったときは喜びに浮かれ「なぜ勝ったのか?」「なぜうまくいったのか?」を検証する人が少ないようです。 企業経営にも通じるリスクコントロールだと思います。 |
2007/3/25「信じる」学生時代、スキーを習っていた人の話です。 その人は、若手のスキーコーチの指導を受けながら、斜面を滑る練習をしていました。 うまく滑れずに転んでばかりいた彼に、その若手コーチは、実に根気よく、懇切丁寧にアドバイスをしました。しかし、何度トライしても、なかなかうまく滑れません。 そのため、彼は自分にはスキーのセンスが無いのかと自信を失いそうになり、さすがの若手コーチも、すこし諦め気味になってきたとき、それを近くで見ていた年配のコーチがやってきて言いました。 「大丈夫だ。君は転び方が上手い。きっと上達するよ」この言葉に励まされて練習を続け、やがて急な斜面もうまく滑れるようになりました。 そのときのことを振り返って、彼は言います。「自分が励まされたのは、『転び方が上手い』と褒められたからではない。褒めるところのない状態の中で、『転び方を褒めてまで、上達を信じてくれる人がいた』。そのことに励まされた」。 その人の可能性を信じること。それは、お互いにとっての戦いであると同時に、何にも勝る「最高の贈り物」なのかもしれません。 |
2007/3/22頭の体操 「占い」さあ皆さん、仕事でお疲れのところ、一服タイムです。 頭の体操で、固まった脳をほんの少し柔らかくして、気分をリフレッシュさせてから、次の仕事に取り掛かりましょう。 (問題) 評判の占い師の夫婦がある人を占いました。 夫の占い師は「あなたは命を狙われていますが、殺されることはありません」と言い、妻の占い師は「あなたは死にます。しかも病気や事故ではありません」と言いました。 両方の占いが的中したのですが、どういうことでしょう? 答は下の方へ「白地で」書いていますので、、反転する前に少し考えてみてください。 (答) 自殺した。 一見不思議に思える表現でも、どこかに抜け穴があるものです。 全体を把握する「遠い目」と、言葉一つ一つを丁寧に見る「近い目」を駆使すれば、疑問が疑問でなくなります。 えてしてどちらかの目を閉じてしまうものですが、この二つの目を使うことが、物事を筋道だてて考えるときの大原則です。 原則と言えば、「偉大な組織は、ルール(規制)ではなく、原則に基づいて動く」という言葉がありましたっけ。 |
2007/3/19コーヒーブレイク「命を数える」「いくつの命を捨てるのか数えてみよう!」 ある小学校のクラスで給食を残す子が増え始め、担任の先生が切り出しました。生徒それぞれが皿の上の食べ残しを見つめながら、ご飯はイネ、みそ汁は大豆とたまねぎとワカメ、牛肉なら牛や牧草、魚はプランクトンの果てまで、思いつく食材の中身を書き出しました。 たった1回の給食を、たくさんの命が支え、その命をいただき、そして自分は生かされているのだと子供たちは気づき、給食を残す児童がいなくなったそうです。(これって、見事なコーチング手法の成果ですよね) 学校給食発祥の地は、山形県鶴岡市だとか。貧しい家庭の子どもたちが空腹に耐え切れず、級友の弁当を盗み始めました。「つらい思いをさせたくない」。心を痛めた僧侶らが、浄財でおにぎりなどを作ったのが始まりだそうです。 給食の原点は「思いやり」です。食育の大切さが強調される一方で、給食費滞納問題がクローズアップされています。給食が果たしているたくさんの役割に思いをめぐらす人が一人でも増えればと願います。 今日、夕飯をいただくとき、「命の数」を数えてみませんか? |
2007/3/19参考までに「時間厳守?」「一定の要件(職種・職務や賃金水準)を満たすホワイトカラー労働者を労働時間規制の適用除外とするホワイトカラー・エグゼンプション制度」が一時議論になりました。 この制度、一面では「自律的な働き方」の問題であり、他面では「残業代カット」の問題でもあります。 今回は、感情論的なデメリットが先行し、国会での可決は見送られましたが、あるアメリカ人の面白い指摘を聞きました。 「電車は数分毎に発車し、新幹線はもとより、JR在来線もその他私鉄も時刻表通りに運行され、バス停にはほかの国では見られないような分刻みの時刻表が張ってある。それらを待つ乗客は、電車が数分遅れただけで騒ぎ、商談においても、待ち合わせ時間に遅れることは大罪を犯したごとく責められる。それほどまで時間に厳しい日本人が、なぜ仕事の終業時間に会社を出られないのかとても不思議だ」 「残業は、日本人特有の勤勉さ、責任感などの副作用」ですまされるものでしょうか?残業をなくす⇒工夫する⇒能力がアップする⇒ ⇒ ⇒。「残業代がもったいない」と言うレベルの問題提起はやめて、もっと根本的なことを考えなければならないように思います。 |
2007/3/19今日の一言「役割」飛行機や電車だけでは、目的地につけない。 車や自転車や足があるから到着できる。 大きなもの、強いもの、早いもの・・・。目立つものが総てではない。 |
2007/3/15「偏差値」公立高校の入試も終わり、受験シーズンがそろそろ幕を閉じようとしています。 受験のとき、よく言われるのが「偏差値」です。この偏差値の高低で、試験の難易度を示すわけですが、これが転じて偏差値の高い学校を卒業した人があたかも優れているかのように誤解する人がいるため、様々な悲喜劇が生じています。 人が豊かに生きていくうえで本来持つべきものは、知性、勇気、創造性、行動力、思いやり、感謝の心、誠実さ、謙虚さなど多くの項目があります。これらの中で学力の偏差値がものを言うのは何分の一かです。 学力偏差値だけでなく、人としての偏差値を考えることが大切なことは、皆さんご存知の通りです。それが、人間性や魅力を測る尺度になるのですから。 |
2007/3/14今日の一言:「できないことの難しさ」「できない」ということほど難しいことはない。 なぜなら、総ての可能性を否定し、「できない」ことを 証明しなければならないからだ。 |
2007/3/13今日の一言:「歪んだ常識」「難しいことは時間を掛けてやる」という歪んだ常識が思考と工夫、創造力を停止させる。 10分掛けて握った寿司を旨いと思いますか? |
2007/3/12「優勝の謎?秘訣?」女子プロゴルフの今季2戦目、アコーディア・レディース大会で、木村敏美プロが3日間とも首位を明け渡さず、3年ぶり10回目の優勝を果たしました。 木村プロは、勝利者インタビューで 「練習している人にはほんと、申し訳ない(優勝)ですね」と言っていました。といいますのも、彼女は両手首の痛みで昨年末から2カ月もクラブを握れずにいたとのこと。 さすがに開幕戦の1週間前には、お茶を濁す程度の練習はしたようですが、大山、横峯、不動といった実力者を寄せ付けなかったプレーの内容には、本人も「わからない。心当たりがありません」と答えています。 「単なる幸運」といってしまえばそれまでですが、「私の武器は、ずぶとい神経とピンをデッドに狙う姿勢。今、ここにある球をどう処理するか。それしか考えていなかった」という彼女の言葉に、優勝の「謎」を解くヒントが含まれている気がします。 |
2007/3/9「最初の判断」あるコラムで見つけた記事によると、人は初対面の人を、三秒、三分、三時間、三日、三週間、三ケ月単位で判断するらしく、三秒あれば外見から判断でき、三分間の会話から大体の性格がわかり、三時間あればその人の反応の仕方や行動、三日で癖や好み、三週間で仕事ぶりや能力を判断でき、三ヶ月で隠れた一面まで発見できるそうです。 また、最も決定的な判断は、最初の三分までになされてしまうことが多く、あとは最初の判断の強化か修正をしているに過ぎないとのこと。 これを仕事に当てはめると、職場の人間関係、機械のトラブルやメンテナンス、販売先での売り込み、新しい商材や新製品につながるヒント等々人間以外の出会いも含めて、最初の判断はものごとを決める上で、欠かせない重要な要素となります。 当然のことながら、その判断の基準は、自身の経験や周囲の情報からくるものです。自分の仕事以外でも、できるだけ多くのことを見聞し、体験する経験値を増やすことが肝要なようです。 加えて、自分で判断・決断できなくとも、「あの人ならこのことに詳しい」「あいつならこれに慣れている」といった人脈を作ることも大切なことだと思います。 三ヶ月どころか、三年経っても何十年経っても嫁さんのことが理解できないという声が、あちこちから聞こえてきそうな・・・。 |
2007/3/6「撮影禁止」3月に入り、日本全国卒業式のシーズンとなりました。海外駐在を経験した、ある人の話を聞きましたので、紹介します。 駐在地で娘の幼稚園の卒園式に出席したとき、式の間の写真やビデオの撮影が禁止されました。 担任の先生は「撮影に夢中になるのではなく、我が子の晴れ姿を自分の目できちんと見て、記憶にとどめてほしい」とその理由を説明したそうです。 彼は「子どもの姿を記録したいのは親の情だが、鋭い何かを感じさせる指摘だった」と言っています。 カメラをしまい、娘を見ていると、娘の生まれた日のことや一緒に遊んだことを懐かしく思い出すことができたようです。 日本の学校行事で、ビデオを手に走り回る親たちに「我が子の姿を目に焼き付けていますか?」と問えば、どんな答えが返ってくるでしょうか?子供の晴れ姿を撮るために走り回り、撮影に一番良い場所を親同士で奪い合う様を子供たちは望んでいるのでしょうか? 「晴れの日」や「節目」にこそ我が子を正面から見つめ、何かを感じる。撮影はしない。それも悪くないかもしれません。 決して、カメラ音痴の愚痴でも嫉妬でもありませんゾ。 |
2007/3/2「芝浜」過日、落語家の三遊亭円楽さんが「ろれつが回っていない」との理由で引退宣言をしました。その当日、最後の演目になったのは「芝浜」という落語です。 ご存知の方も多いと思いますが、内容をかいつまんで紹介しましょう。一人の魚屋が、芝の浜で思わぬ大金を拾い、「これでもう働かなくてもいいんだ」と大酒を飲んで寝込んでしまいます。 あくる日、目が覚めてあの大金はどうしたと女房に聞くと、「あんた、何のこと言ってんの?変な夢でも見たんじゃないのかい?」とたしなめられます。魚屋は、「なんだ、夢だったのか。それじゃ、しょうがねぇ」と心を入れ替え、大好きな酒を断って、一生懸命に働き数年が過ぎます。 やがて家業は安泰となり、ある年の暮、幸せな気分で女房と大晦日の除夜の鐘を聞いていたとき、女房が数年前の大金を拾った夢話は、夢ではなかったことを打ち明けます。本当はお金を拾ってきたけれど、そのお金があると魚屋は働くことをせず、だめな人間になってしまうと思い、嘘をついていたのだと詫びます。男は、それを聞き、詫びるのは自分の方だと言って、女房に感謝するというお話です。 お金に対する絶妙な価値観、働くことの意味、夫婦の理想像等々、日本人独特の美意識がちりばめられた何とも良い話です。 人間の勝手な欲情が引き起こす事件ばかりを見聞きする今日この頃、仕事をして生活することの意味を改めて教えられ、心が洗われる気持ちになります。そこにあるのは、我々が忘れかけている数値に還元できない生活の質感です。 円楽師匠が最後に「芝浜」を選んだのは、世の中に対するメッセージだった気がします。 |
2007/2/23「自分を見る、自分を知る」「私たちは視覚障害者として選ばれた。これは、すごい運だと思いませんか」 全国盲学校弁論大会で入賞した16歳の少女が語った言葉を見つけました。 目が見えない不自由さを挙げつつ、「代わりにほとんどの音がドレミの音階に聞こえるほど聴覚が発達したし、駅や路上で知らない人のちょっとした手助けに人間の温かさを実感できて幸せです。障害を持ってラッキーだと考えれば、世界は広がります。」と彼女は言います。 ハンディを「ラッキー」と言えるようになるまで、彼女はどれほど「見えない」自分と向き合い、焦りやあきらめと戦ってきたのでしょうか。この先、どんな壁にぶつかっても、自分を見つめ、自分を知り、自分で考えを練り、積極的に生きることを体得した彼女は、きっと乗り越えていけるでしょう。 健常者といわれる我々は、彼女ほど、自分を知っているのでしょうか?問い直してみる価値は充分にあると思います。 |
2007/2/16「旅人の悲劇」ある旅人が、旅の途中で道を見失い、不思議な国に迷い込んでしまいました。その国は、一つ目人間の国だったのです。 その国の住人は、誰もが目を一つしか持たない人々であり、旅人のように目が二つある人間は、一人もいなかったのです。 その国に迷い込んだ当初、旅人は、変わった風貌の住人を見て驚き、そしてしばらくは、彼らを不思議に思って眺めていました。 しかし、その国で過ごすうちに、旅人は、だんだん孤独になってきました。 自分だけが二つの目を持つことが異常なことのように思われてきたのです。そして、その孤独のあまり、ついに、その旅人は、自ら片方の目をつぶし、一つ目になってしまいました。 この旅人の悲劇は、決して遠い彼方の国の物語ではありません。我々も、しばしば、この旅人のように、自ら周囲に合わせようと考えてしまうことがあります。自分が周りの人とは違うことの孤独。そのことに耐えられず、自分の持ち味を認めないまま、自分自身であることをやめようと考えてしまうのです。 青年部は、個性派の集団です。個人の強みも弱みも総てさらけ出せる場所、そしてその存在を互いが認め合える場所でありたいと願っています。 |
2007/2/9「普通席?指定席?」さあ皆さん、仕事でお疲れのところ、一服タイムです。 頭の体操で、固まった脳をほんの少し柔らかくして、気分をリフレッシュさせてから、次の仕事に取り掛かりましょう。 (問題) ある映画館では、普通席が1300円、指定席が1800円でした。 一人目のお客が黙って2000円を出すと、窓口の女性が「普通席ですか、指定席ですか?」と尋ねました。 二人目のお客が黙って2000円を出すと、「指定席ですね」と言って、おつりの200円を返しました。 なぜ「指定席」だとわかったのでしょう? 答は下の方へ「白地で」書いていますので、、反転する前に少し考えてみてください。 (答) 1000円札と500円玉2枚で払ったから。 「常連客で、窓口の女性と顔なじみだった」という答もあるでしょう。 知りえた情報から抜け落ちている内容が、決定的な判断材料になることがあるという事例です。 情報は、様々な角度から分析することが必要です。 「データ重視の野球」の代表格といわれるプロ野球の野村監督が以前次のことを言っていました。 「データ重視の野球」ということならば、いまどき、どこのチームも、多くのスコアラーを派遣し、大量のデータを入手して、徹底的に分析していますよ。 肝心なことは、その膨大なデータ分析結果の中から、次の試合に勝つためのポイントを、いくつかに絞って掴み出すことです。 そして、そのポイントを、それぞれの選手の個性に合わせて、これとこれ、といって分かりやすく伝えてやることですよ。 この野村監督の言葉は、「情報化」についての一つの逆説に、気づかせてくれます。 「情報化」によって、我々の「思考」は、決して楽にはならない。それは、我々に、ますます深い「智恵」を求めるからです。 情報は、必ずしもそのままで答にならないということですね。 |
2007/2/5「見当違い」某大臣の「子を生む機械」発言が、蜂の巣をつついたような騒ぎになっています。 女性蔑視の問題発言ということで、糾弾されていますが、ことの本質は違うところにあるように思えてなりません。 失言の元は、「少子化」からきているのでしょうが、少子化問題は、生殖能力の有無や生殖作業の回数だけのことではなくて、子供を生みにくい、あるいは育てにくい社会環境やシステムに起因していることを忘れてはならないと思います。 大臣の言い方をあれこれあげつらうより、大臣ともあろうお方がもし講演の中で本質的な問題に触れていないのであれば、そのことを取り上げるべきだと思うのですが、いかがです? |
2007/2/2「トラブル対応」あるメーカーの社長が、昼夜を問わない携帯メールでの事故報告を各部長に求めました。続けざまに多発する工場内のトラブルを何とかしたいという思いからです。 タンクから重油が漏れた。社員が機械で指を切った。操業トラブル等々。その数は、1日あたり軽く10件を超え、深夜もメールが届きました。 真夜中に上司を起こすのは誰でもためらいます。しかし、その社長は必要な報告が上がらないことを恐れ、「おれは寝ようとは思っていない。とにかく何かあれば、すぐに連絡しろ!」と怒鳴ったこともあるそうです。 社長は、すべてのメールに指示を返したため、半年間ほど極度の寝不足が続きました。「現場のトラブルがすぐに上に上がらず、上げるシステムもないのが最大の問題」。そんな意識の変革が浸透し、トラブルは確実に減っていきました。 学ぶべきは、幹部が先頭に立って奮闘する姿勢ですが、それでもトラブルをなくせない難しさがあります。それが現実だとすれば、トップが真剣に防止策を考えない企業は…。 |
2007/1/26「会社の性格」大手菓子メーカーの事件が連日報道される中、次のコラムを見つけました。 お金を儲けることしか興味がなく、無駄な出費は一切しない。利益にならない友人とは付き合わず、責任は極力他人に押し付ける。人にはやたら厳しく、相手を押しのけてでも自分を主張する。このような人間が周囲にいるとしたら、あなたはどうしますか? 彼が、人としてのバランスを欠いた人間だということは、異論のないところだと想像します。しかし、法人(会社)という人格に限れば、多くの法人は、あたかも生まれ持った気質のように、彼のような性格を持っています。そして不思議なことに、この法人の持つ病的な性格に関して、誰も根本的な疑いを抱くことがありません。 仮に、これとは反対の性格の法人を思い描いてみてください。お金に執着心がなく、困っている人がいれば相談にのり、他人の責任をすべて自分の責任のように背負い、人には優しく、いつも控えめな態度を旨とする。このような会社が果たして存続できるでしょうか? むしろ、貪欲で競争相手を蹴散らすほどのパワーがあり、ちょっとした隙間があれば、そこに入り込んでビジネスチャンスをものにし、自社のリスクに関しては、二重・三重の対策を講じる用心深さを持ち、顧客には自信に満ちた提案ができる会社の方が、長く生き続け、投資家にも魅力的だと思います。 このように、人として善しとされる性格と、法人として善しとされる性格は、相反するところがあります。法人は、人間の集団から成り立っています。したがって、道徳心を持った人間のアクセルやブレーキがバランスよく働いてこそ、貪欲さ、執着心、自己主張、用心深さ、自信等がプラスに作用し、社会に認めてもらえる法人になりえるのです。 消費期限の切れた牛乳を使用したお菓子を製造し、出荷していたくだんの会社は、百年の歴史と信用を、たった一瞬で失くしてしまいました。 この会社は、ISO9000も14000も取得している企業です。その会社が、残念なことに、顧客を裏切ってしまいました。どのように外観を装おうとも、心を失った人間の集団となったとき、法人はその存在価値をなくしてしまいます。 企業として、見失ってはならないものを教えてくれる事件です。 |
2007/1/17「ラッキー7」今年は2007年。ラッキー7の付いた年ですから、良い年になることを願っています。 先日読んだエッセイに、ラッキー7に関することが載っていましたので、ご紹介しましょう。 「もともと『7』という数字は、聖数のひとつで、神秘的な霊能を感じる数として、世界中の宗教思想や行事で多く使われています。神は天地創造に7日かけ、仏陀が誕生時に歩いた歩数が7歩で、人は生まれ持って7つの大罪を背負い、7福神の乗った宝船の絵を枕の下に入れておくと良い初夢が見られると言われます。他にも、世界には7不思議があり、日常生活に戻るための七草粥を食し、7色の虹、7つの大海、七味唐辛子、郵便番号、電話番号、ドレミの音階など、見回せば我々は7に囲まれて生活しています。心理学では、人間が一瞬に記憶できる対象が7個以下という法則があると言われ、その点からも7は理にかなった生活数字でもあるのでしょう。」 とはいえ、他の青年部との交流会で、一度に4人と名刺交換すると、4人目の方と挨拶したとき、既に最初の方の名前を忘れてしまう小生には、心理学の法則が当てはまらないようです。 ともあれ、今年も明るい材料ばかりが揃った年ではなさそうです。しかし、「今年はどうなるのか?」と不安を抱くより、「今年をどうしようか?」と前向きに考えていきましょう! 正月早々、ろく(6)でもない話、つまり7の話でした。 |